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前ページ次ページゼロの黒魔道士 クジャの言葉に空気が重く冷たくなる。 教皇さまの顔が笑っていない。 そりゃ、そうだよね…… いくらなんでも、無理があるもの。 教皇様が、6000年前にブリミルって人を裏切った…… フォルサテ、その人だなんて。 ゼロの黒魔道士 ~第六十五幕~ そして舞台の幕が開き 「――おやおや、どうされましたか?裏切り者のフォルサテ様? 仮面が――おっと、失礼をば!御尊顔のお色が、お優れではあそばれませんようで?」 クジャが大げさな身振りをする度に、 もったいつけた言い方をする度に、 ピリッとした視線を感じたんだ。 「何でもございませんよ――ただ、少々驚きましてね。 我ら教会の祖となられたフォルサテ様と、私ごときを重ねてくださるとは、 身に余る光栄ではありますが……若輩には過分なお言葉で、戸惑わざるを得ませね」 無理に、そう無理矢理にって感じで、教皇さまが笑顔を作った。 なんだか、怖い。 人では無いような……そんな笑顔だった。 「ふふふ……流石は老獪なる猿芝居!ベテランの域としか言いようがありませんね! ですが――いささか、立ち回りの端々がカビ臭くていらっしゃる! 熟成も通り越して犬も食べないよ! 千年紀を六度も経ますと、落ちた演技力を隠しきれなくなりますのでしょうか?」 クジャはそれを気にしない。ちっとも、気になんかしていない。 相変わらず芝居がかった調子で、教皇さまを挑発するように続けている。 「――なるほど。貴方はお芝居がお好きであられるようだ。 今お語りになられているのは、さしずめ新進気鋭の作家の台本なのでしょう? ――私も芝居は嫌いではありませんよ?世俗を理解するのには丁度良い」 教皇さまも、無理に相手するのをやめたみたいだ。 後ろに控えている男の子に、一瞬だけ視線を送った。 「クジャの言動、変だね」って言ってるような、そんな軽い感じで。 「いえいえ、ただ今、物語っておみせいたしますは、貴方様の描かれた一大長編! 『永遠の命』を得たフォルサテという男の大芝居でございますのに! ――あぁ、失敬。 閉幕次第では駄作になられるかもしれませんので、傑作とまで評できぬことはお許しを――」 舞台の前口上だって、ここまで盛り上げないような調子だった。 『永遠の命』……あり得るのかなぁ、そんなの…… 「『永遠の命』?フォルサテ様が、『永遠の命』?これはおもしろい設定だ! 貴方が描かれた台本なのでしょうか?奇抜でおもしろいお芝居のようですね。 ただ、個人的には笑っていられますが、教会としては異端と断ずる他無く、冗談にもなりませんね」 でも、教皇様も笑って無かった。 暗く濁った気持ちを、無理矢理笑顔で押し隠している それがはっきり分かる。 「冗談?ふふっ!そうだねぇ。『永遠の命』なんて、お伽話にしかならないさ! ――だが、近づくことはできる。小道具を使えばね!そう例えば――」 クジャが言う言葉を、選ぶようにじっくりと間をためた。 「『始祖の聖杯』――などはいかがでしょう?」 「――ほう」 ピシッと、空気が凍りつく。 さっきまでとはまた違った緊張感が、辺りを支配する。 空気が、ただ冷たいものから、重さのしっかりある剣に変わっていく。 「考えたよねぇ。『肉体が滅びてしまうならば、血と記憶を残せば良い』…… ナイツ・オブ・ラウンドの伝説よろしく、それを実践される方がいらっしゃるとは思いませんでしたが」 血と記憶を残す? ……それが『永遠の命』っていうこと……? 「それで?」 先を促すように、教皇様が言う。 もう、笑顔を作ることすらやめたみたいだ。 ……怖い。 理由は分からない。 全くの無表情なのに……怖いんだ。 「――むかしむかし、ある所に、『永遠の命』を欲した野心溢れる男がおりました――」 「今度は、童話ですか」 クジャの語り出しに、教皇さまが冷たい視線を送った。 「英雄と呼ばれた男の弟子になれば、『永遠の命』を手に入れることができる―― 欲深き男は、巧みに英雄に取り入り、何年も、何年も我慢しました。 やがて、歓喜の渦が彼を包み込みます。『永遠の命』、それを得る術をついに知った! だが、男はそれで満たされませんでした……欲深いことにそれを一人占めしたくなったのです」 これって、ここまで来るときに聞いた『ゲルモニークの手記』の内容だよね? 物語が、簡潔に淡々と語られていった。 「――……」 教皇さまは口をはさまない。 聞くことに徹するみたいだ。 もちろん、ボク達も何も言わない。 言えない、だけかもしれないけれど…… クジャの声だけが、ピンッと張った空気の中響いた。 「男の企みは成功しました……男は、英雄の全ての力を自分の手にした――そう思っていました―― ふふ。ここからがこの物語のおもしろいところだよねぇ?フォルサテ様?」 教皇さまに笑顔で感想を求めるクジャ。 「――どうでしょうか?」 それに無表情のまま答える教皇さま。 「お気に召さないですか?――それでは、欲深き男がどう死んだかは割愛いたしましょうか? 悲惨な末路は何度も見聞したいものではございませんでしょうし、ねぇ?」 クジャがお構いなしに教皇さまに笑いかける。 教皇さまはちょっと冷たい目を向けるだけだった。 「男の肉体は、結局滅びる運命にありました。『永遠の命』は肉体までを永らえませんでした―― さぞ、苦しかったでしょうねぇ?魂や感覚がはっきりしているのに、身体だけが朽ちるというのは」 構わずに、続けるクジャ。 ……記憶や魂が残っているのに、身体が死ぬ…… うーん、『永遠の命』も完全ってわけじゃないんだなぁ…… すっごく痛いんだろうな、肉体だけが死ぬって…… 「さて、しかしながら男は考えたのです。ここで死んでなるものか、と。 必ずや力を、『永遠の命』を手に入れてみせると。 そこで目をつけたのは、インテリジェンス・ソード――記憶を物体に宿す業」 インテリジェンス・ソードって……デルフのこと、だよねぇ? 「記憶を……?」 「……」 デルフは、しゃべらない。 なんか、ブラックジャック号でここまで来た辺りから、ずっと静かだ。 ……記憶を物体に…… デルフ、誰かの記憶を持っているの……? 「男は、英雄の遺物から、粗末な金属の杯を選び出しました。 杯に注いだ物は毒よりも黒い男の記憶――」 クジャの話はいよいよクライマックスみたいだ。 声に力がこもっていく。 「さらに、英雄を奉る教会までも作り上げました。英雄を『始祖』と崇める神の祠です…… 実に巧妙でした!男は、自分が殺した英雄の名で、自分の記憶を安寧な場所に守ったのです。 そう、黒い記憶が杯から溢るる、その時が来るまで――」 自分の記憶を、『聖杯』っていうのに閉じ込めて……そんなこと、できるんだ…… なんか、すっごく気の長い話だと思う。 そこまでして、生きたいものなの? 「――我儘で欲深な男は待っていたのです。英雄の『血』が、自らの記憶に触れるのを…… 『虚無』の力と、己の記憶が結びつき、英雄の力を今度こそ全て手に入れる機会が訪れることを……」 クジャが、話を締めくくった。 それはまるで、指揮者が音楽を締めくくるように、静かに、余韻をたっぷりと残して。 「……フフフ――アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」 一瞬の間の後、張りつめた空気に笑い声が轟いた。 教皇さまが、猛獣のような声で笑いながら、拍手をしていた。 乾いた手の音が、ビリビリと響く。 「ご清聴、感謝いたします ――間違いがございましたら、ご指摘願いたいのですが?」 一礼をしながら、クジャが聞く。 「いやいや異世界より参られてよく調べた、と――だが―― 一点、私が欲深い?我儘?その点は否定したいね」 拍手をやめた教皇さまには、笑顔が浮かんでいた。 最初みたいに、作った笑顔なんかじゃない、もっと獰猛な…… 牙を見せる狼のような、そんな笑顔。 ぞぞぞって感覚が、笑顔を見るだけで感じる。 「私は、仮にも聖職者を名乗っていてね? 君が言うように自作自演ではあるが、この役は気にいっていたんだ――」 スッと、広げた左手を前へ出す。 その仕草に、後ろに控えていた男の子が頷き、 指笛をふくような、そんな仕草をする。 「演じていれば、自然と慈悲深くなってね? それに、君と同じく芝居好きでもある――」 遠くで、笛の音が響いたような気がした。 空気が、凪ぐ。 『虹』の空が、一層禍々しく蠢く。 「――この芝居、君達だけに見せていてはもったいないだろう?」 教皇さま……フォルサテの動きに合わせて、『虹』が落ちてきた。 いや、『虹』じゃない。 これはもっと、重くて、大きくて…… 「な……」 「え、え、えぇええ!?」 「りゅ、竜!?こんなに沢山!?」 銀色の翼、凶暴に歪む顔、ごぉぉぉおおっていう突風に似たような唸り声…… 何体もの銀のドラゴンが、『虹』からヌルヌルと落ちてくる。 卵から生まれてきたみたいな、ヌラヌラとした粘液を撒き散らしながら。 それが、何体も、何体もブラックジャック号を取り囲んだ。 「ハルケギニア全体が舞台だよ!存分に楽しんでくれたまえ!」 「GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHH!!!」 舞台の幕を上げるファンファーレのように、 フォルサテの声と、竜達の咆哮がが高く響いた。 ピコン ATE ~それぞれの戦い~ ACT 1:トリスタニア 『虹』は既にハルケギニアを覆いつつあったが、 多くの人々は未だ「変な天気」、とだけしか考えていなかった。 寒気を感じたとしても、この妙な天気のせいか気のせいであると決め付けた。 動物達と違い、人々はそこに宿る慟哭や憎悪を本能で感じてはいても、 理性でもって原始的な感覚を意図せず遮断してしまっていた。 だからこそ、チクトンネ街の片隅に開いたその『穴』を、気づいた者は誰一人いなかった。 例えいたとしたところで、次の瞬間には命を落としていたのだから意味は無い。 黒く蠢くその『穴』から飛び出した銀色のさざ波は、やがてトリスタニアの空を覆う。 僅かな血をしたたらせて、眩しいまでの剣色をした猛獣共が、あらゆる命を刈り取っていく。 その日、ハルケギニア北部の主要な街や村が、銀色の竜もどきの襲撃を受けた。 上空から見下ろす者がいたとするならば、その光景はさながら、 水銀がたっぷり入った器を地上に落したように見えただろう。 あらゆる人の住む場所が、蠢く銀の群れに飲み込まれていった。 人々は恐れ惑い、逃げる間も無く餌と化していく。 唸る銀竜共の前に、叫ぶ端から声が消えていった。 慈悲も無く、悪意も無く、 醜いまでに純粋な暴力が、地を蹂躙していく。 「アルクゥ、レフィア!急げ!」 恐れでも惑いでも無い声は、少年のもの。 勇ましさは無知から来るものか、はたまた小さき鎧姿に宿る責任感からか。 「ま、待って、待って、待ってよぉおぉ!!」 「な、何なのよ、アレ!何なのよっ!?」 「知らねぇよっ、俺バカだし!でもヤバそうだから急げ!ほら、そっち支えろ!急げ!」 獰猛なる竜どもの牙をかいくぐり、少年達は走っていた。 瓦礫となった通りを駆け抜け、倒れた母子あらばこれを助け、 灰塵と化した商店を乗り越え、燃える家屋あらば燃え広がらぬ努力をした。 だが、小さい彼らの、少なき手では、この街は守るのには大きすぎた。 「ルーネス!」 「イングズ!そっちはどうだっ!?」 「あっちこっちパニックだ!――くそっ! こんなときこそ俺達タマネギ隊がしっかりしなきゃならないってのに!」 「畜生!とにかく、みんなを安全な――」 タマネギ隊。 平民の少年達による、自衛のための組織。 周りの大人は『ごっこ遊び』と鼻で笑っていたが、 今現在トリスタニアで機能している組織は、彼らぐらいなものだった。 彼らは、懸命に働いた。 懸命に、働きすぎた。 「ルーネス危ないっ!!」 「ぅ、ぅわぁああああああああああああ!?」 他者を思うがあまり、 己に向けられた、銀竜の牙にも気付かないほどに。 ・ ・ ・ ACT 2:アクイレイア ハルケギニア南部、ガリアやロマリアといった地域では、また違った惨状が地に満ちていた。 『虹』が、天の上ではなく、地にまで満ち始めていた。 ある者は寒気に襲われ倒れ、ある者は発狂し叫んだ。 濃密なまでの『虹』。すなわち、人々の『魂』が可視化した存在。 これらの事実から、アクイレイアで発生している事象を推論することは可能であろう。 だが、その現実を許容できるか否かはまた別の問題である。 果たして彼らに思い描くことができたであろうか?美しき水の都が業火に食らわれる様などを。 果たして彼らに思い描くことができたであろうか?母が子を抱いたまま灰になる姿などを。 果たして彼らに思い描くことができたであろうか?今日この日にその身を散らすことを。 唯一の慰めは、それらが等しく全てを覆ったことである。 そこに貧富の差も、老いや若きの差も無かった。 健やかなる者も、病める者も、男も女も、全て等しく焼け焦ながら、 その『魂』を新たな『虹』の流れに持ち去られていく。 空気に漂うのは、微量な硫黄と鉄分が熱せられた匂い。 人体の大部分を構成する炭素と水分が燃える煙に混じった異臭。 魔学的研究を行っていれば、これ以上の悪臭は何度となく経験してきた。 「う……お……オェ……」 だが、それの意味する現実に、 机上の実験などではなく実在の都市の上で繰り広げられる惨状に、 エレオノールは嘔吐した。 「大丈夫ですか、団長さんっ!」 「だ、大丈夫……ですっ!!」 胃酸と涙を右手で思いっきり払い落す。 己の消化器官の障害など、目前の惨状に比べればマシな方だ。 「酷い、鼻がもげそう……」 同僚が言わずとも、鼻はまだ正常だ。 まともであることが、辛い。 一歩踏み間違えば、狂いそうになる。 あらゆる理屈を飲み込む炎は、見ている目の前から大きくなる。 「――街はもうダメだ、避難を急がせろっ!」 「水メイジは、延焼を防げ!土メイジは私に続いて、避難経路を……」 だが、ここで狂うことは許されない。 研究者の端くれとして。ヴァリエール家の者として。 「み、ミス・ヴァリエール!無理は――」 「大丈夫です!私は――大丈夫です!」 自分の部下達が、少しでも逃げまどう人々を助けようと奔走している中、 団長として、倒れているわけにはいかない。 燃え盛る炎と湧き上がる『虹』の中、エレオノールは自ら走りだした。 瓦礫の山から助けを求めるかのような黒ずんだ手が伸び、 生きている者ももう少なそうだった。 だが、エレオノールは諦めなかった。 一人でも、一人でも多くを助けなければ。 やがて、一人の少女の姿が目に映る。 ルイズと同じぐらいの年だろうか。 崩れ去った家の傍、うずくまっている女の子。 「……一人?ほら、手を――」 差し伸べた手は、激しい痛みで返された。 「……ぇ……?」 少女の手に握られていたものは、鎌。 血が、みるみる噴き出す。 見ると、瓦礫のあちらこちらから起き上がる影が。 人だ。手には、槍や銃や剣。 あるいは、鍬や棍棒……とにかく獲物を持っている。 救出に来てくれたことを歓迎している様子では無いようだ。 四方を取り囲む人々の、 ―いや、焼け焦げ爛れた彼らを『人』と呼べるのだろうか― 彼らの目に宿る光は皆無に等しく、文字通り、死の臭いに包まれている。 「ぃ……ぃゃ……き、きゃぁああああああ!?」 エレオノールの絶叫が、アクイレイアの淀んだ空にこだました。 ・ ・ ・ ACT 3:トリステイン魔法学院 トリステイン魔法学院は、そうした惨状からはまだ遠い場所にあった。 そもそもが夏休みで、人が少ないということが影響したようだ。 「――ダメね。そっちはいた?」 暗い学院の廊下に、大小2つの影。 特に大きい方は女性らしい丸みを帯びて、シルエットでもその色香が伝わってきそうだ。 「……」 小さい方はというと、それなりに均整は取れているが、失意に肩を落としそのの魅力を出し切れていない。 「その様子だと、いなかったみたいね……うーん、学院に戻ってたわけじゃない、か……」 「ギーシュ……どこ行っちゃったのよ、あの馬鹿……」 キュルケとモンモランシーは、オルレアンの領地から一足早く学院に戻っていた。 ビビ、ルイズ、ギーシュの姿が見えなくなっていたので、 あるいは学院に戻っていたのではないかと踏んだためである。 「ま、だーいじょうぶよ。あの手の男は、ひょいっと戻ってくるものよ」 経験豊富である、ということを良いことに、からかうように答えるキュルケ。 彼女には、特に不安というものは無い。 「――いい気なもんね」 一方で、恋人の姿が見えないことで、モンモランシーは沈んでいた。 湖の底より深く沈んでいた。 「信用してるってだけよ。貴女は信用しないの?」 信頼しているが故にキュルケは気にも留めない。 自分を信じ、友を信じている。 それが彼女の強さの秘訣だ。 「してるわよ!でも、心配なのっ!!」 一方のモンモランシーは不安そのものだった。 信じている。でも考えてしまうのだ。 頭が多少良いばかりに、最悪を想像してしまう。 それは彼女の弱みだった。 「はぁ――良い女ってのは、どんなときも堂々と構えているもんよ」 背を反らして大きい胸をさらに強調する。 自分の『女』というものを強調する術を、キュルケは確かに心得ていた。 「……あんたが無神経なだけじゃない?」 だが、それを見るのはモンモランシー一人。 別にそっちの気があるわけでもなく、女体の神秘にときめくわけではない。 ただ彼女が感じたのは、ごく僅かな『感謝』である。 一人だったら、恋人が行方不明という事態に耐えれるものでは無いだろうからだ。 「それだけ悪態つければ、大丈夫――え!?」 ふいに、キュルケの体が窓から飛ぶように離れる。 モンモランシーも、キュルケに突き飛ばされるような形で後ろへ下がった。 「な、何?」 「しっ!黙って!!」 何が何だか分からないといった表情のモンモランシーと、 唇に人差し指を当てるキュルケ。 「――どうしたってのよ?」 「――聞こえない?」 言われて、耳をすますモンモランシー。 微かに聞こえる、「ケロケロ」という怯えたような声。 「……?ロビン?」 使い魔。メイジと使い魔は、ある程度感覚を共有できる。 最も、常に共有しているわけではない。 そんなことをすれば、ずっと高速で空を飛びまわったり、暗い地面の底にいたりといった、 人間では耐えられぬ状況を味わい続ける羽目になる。 差し迫った事情でも無ければ、共有はしない。 暗黙の了解という奴だ。 それを承知で、ロビンが語りかけてきている。 それも尋常ではない怯え方で。 だが、特段何かが見えたりするわけではない。 何かの気配に怯えている。そんな感じだ。 「フレイムも、ね。おかしな天気だけど、それだけじゃ無さそ――う!?」 「ひやぁっ!?」 襲い掛かるは、ガラスの破片と炎の弾。 『ファイア・ボール』であると気付くのに、一瞬間が開く。 「っへぇ?――うははっ!夏休みなんざ、昔から退屈なだけで好きになれなかったが―― なかなか悪く無いな、えぇ?そうは思わないか?スポンサー様さまさまだな」 そのわずかな時間の空白を縫い、粗雑な風体の男が割れた窓ガラスを砕きながら侵入した。 白髪と顔の皺によって感じる加齢と、鍛え抜かれた肉体の若さがアンバランスに映る。 何より特徴的なのは、額の真ん中から左眼を包み頬まで伸びた火傷の痕だ。 男は侵入するなり、ギョロリとした眼で二人の『上玉』を品定めした。 「燃やし甲斐がありそうな獲物がいて感謝するぞ、えぇ? お嬢ちゃん方、俺様の鼻的に――んん~!大っ合格よ!」 うっとりするような表情での深呼吸。 それは獣じみた獰猛さを伴っていた。 「あら、お誘いが強引じゃ――ありませんことっ!?」 動いたのは、キュルケ。 伊達に何度も修羅場をくぐっているわけではない。 先だってエルフと死闘を繰り広げたことが、判断の早さを助けた。 迷わず、最大火力を解き放って不審な男にぶつける。 「いぃねぇ~!ますます俺好みだな、えぇ?」 だが、男は怯むことなく、それを軽々と跳ね返した。 杖も持たない全くの素手で。 「……なっ!?」 「うそっ!?」 モンモランシーもまた、僅かな水を足下へと這わせ、不審者の足止めを試みていた。 視界に入りもしないはずの攻撃が、軽々と避けられる。 そして、避けられたと感じた次の瞬間、モンモランシーは腹部に重い一撃を感じていた。 男性と女性の体格差を思い知るのに充分な、鳩尾への右ストレート。 魔力も何もこもっていない、ただの筋力による一撃が、これほどに重いとは。 そう思うこともできず、モンモランシーの体は完全に沈黙した。 「惜しかったなぁ、えぇ?目くらましと死角からの攻撃とは悪く無いアイディアだったが……」 その速度を、キュルケは見切ることができなかった。 仮にもトライアングルメイジであり、戦闘も同年齢と比べればこなしてきた方であるはずなのに。 彼女が目に捕えることができたものは、吹っ飛ぶモンモランシー。 次の瞬間、男の顔。 ミルク色に濁った瞳が、ニヤリと笑う口元が、彼女の視界を覆った。 キスができそうなほどの距離。 背には壁。 彼女の杖腕と喉元は一瞬で封じられた。 「貴方、もしかして、目……」 押さえられた喉から、声を絞る。 キュルケは気付いた。男の目が、一切の光を捕えていないということを。 義眼。男の両の目は紛い物であった。 「俺は瞼だけでなく目を焼かれていてな。光が分からんのだよ」 恋人にでもささやくように、耳元でそう告げる不審な男。 ぐっと身体を密着させられる。 「ど、どうして……」 様々な問いを含んだ「どうして」が、辛うじてキュルケの唇から読み取れる。 どうしてこちらの攻撃を回避できたのか。 どうして狙い違わず攻撃ができたのか。 そしてそもそも――この男は何者なのか。 「蛇は温度で獲物を見つけるそうだ」 例えの通り、爬虫類のように空気の入ったような笑い方で、男は答えた。 しゅるしゅるという音が、耳のすぐ横で聞こえる。 「俺は炎を使ううちに随分と温度に敏感になってね、えぇ? 距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。 温度で人の見分けさえつくのさ」 そう言って、男は捕えたキュルケの肢体を下から上まで、 舐めまわすように見た。まるで目が見えているかのように、じっくりと、ねっぷりと。 「お前、恐いな?恐がってるな、えぇ?」 そして鼻でもって思いっきりキュルケの体臭を嗅ぎ取る。 鼻腔を広げ、味わうように。 「感情が乱れると、温度も乱れる。なまじ見えるより温度はいろんなことを教えてくれる」 男の吐く息が、肌にじわりと触れる。 生温かさに、ぞわりと肌が粟立つ。 「嗅ぎたい―― お前の焼ける香りが、嗅ぎたい――」 小さな声で、キュルケの耳元で、男は己の願望を伝える。 その歪んだ欲望に、キュルケは凍えた。 「嫌……」 そう、声が漏れる。 それはベッドで唱えるような甘い肯定の言葉ではなく、 怯えきった、本来の意味での否定の意志。 まだ死にたくない。死ぬのは嫌だ。 嫌悪感に身をよじることすらできない。 恐怖に身が凍る。 人ならぬ者が持つ狂気に、キュルケは触れていた。 「あぁでもま、さっさと終わらさねぇとな――スポンサーさんのお芝居に付き合わなければ……」 ほんのわずかな時間、キュルケの杖腕が解放される。 男が自分の杖を取りだすためだ。 だが、そのわずかな時間を、キュルケは利用できない。 蛇に睨まれたカエル。 動く気力さえ、削がれているというのか。 「残念だぞ、えぇ?俺はじっくりと肉の芯まで焦がすのが好きだというのに、なぁ? っともちろん、普段はお望みの焼き加減は聞くぞ?――今回はそれもできないというのがイマイチだな」 手に持った杖で、ツツツっとキュルケの身体がなぞられる。 それに沿うように焼けつくような感覚が、さらに続いて鳥肌が立つ。 「俺の名はメンヌヴィル。お前は、――炎の使い手だな、えぇ?匂いで分かるぞ?」 キスをするように顔を近づける男。 今更名乗られても、しょうがない。 キュルケは、身動きのできないただの少女に成り下がっていた。 「今まで何を焼いてきた?炎の使い手よ、えぇ? 今度はお前が燃える番だ――」 皮肉なことに、首を押さえているために辛うじて立っていられるという状況で、 キュルケの耳元で死刑宣告がなされた。 前ページ次ページゼロの黒魔道士
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前ページ次ページゼロの花嫁 三百騎は走る。走る。走る。 幾たびも陣を飛び越え、軍を切り裂き、悲鳴と断末魔を纏いながら。 魔法をまともにくらい、馬から転げ落ちたアルビオン兵は、地面に叩き付けられるなり飛びあがる。 血走った目のまま、トドメを刺さんと近寄って来た兵の首元に喰らいつき、首回りの筋肉ごと咬み千切る。 後ろから槍で突かれ、深々と胴体に刺さったそれを片腕を振り下ろしてヘシ折り、 同じく横から槍で突きかかってきた男に飛びかかる。 槍で脇腹を抉られながら、敵の口と目に指を突き入れ、全力で握り締める。 同時に四方から槍を突き刺されるが、手の力はいささかも衰えず、 くぐもった悲鳴をあげ敵が倒れるのと同時に、男は力尽き倒れた。 ほっと、皆が一息ついた直後、男はがばっと立ち上がる。 全身から垂れ下がる槍を引きずりながら数歩歩いた後、男は再び倒れ、二度と起き上がる事は無かった。 歩み寄られた兵は、蒼白になりながら尻餅をつく。 「何だよこれ! こんなの聞いてねえぞ! こんなバケモノ相手なんてやってられっかよ!」 又、別所で同様に落馬した兵は、自らをも巻き込んだ炎を放ち、 全身を炎で包みながら更に斬りかかり、都合六人を巻き込んで絶命した。 戦場に正気を持ち込むなどそれこそ正気の沙汰ではない。 が、そんな戦場にあっても更に異質であるこの狂乱は、 長きに渡って裏切りに耐え続けてきたアルビオン兵の魂の叫びなのだろう。 男達は、戦場故と無理矢理納得してきた理不尽、不条理に、全身全霊を持って抗う。 理不尽な敗北も、不条理な死も、我等のみに下る裁可ではないぞと言わんばかりに。 最前衛を走るウェールズは緊張に身を硬くする。 上空彼方より飛来する飛竜部隊を目にしたからだ。 これに対する術をウェールズ達は持ち合わせていない。 ただ耐えに耐えて敵陣に斬り込み、敵味方入り乱れた状況を作る他無いのだ。 「任せて!」 馬列の中ごろから一騎が前へと走り出てくる。 その姿を認めたルイズがこの場に合わぬすっとんきょうな声を上げる。 「キュルケ!? アンタまで来てたの!」 「来ちゃ悪いみたいな言い方ね! アンタへの文句は地獄でありったけ聞かせてあげるから今はすっこんでなさい!」 杖を翳して詠唱を始める。 重苦しい言の葉の数々と、額に汗するキュルケの様子から並々ならぬ術であるとわかる。 「爆炎!」 キュルケの澄んだ声が響くと、見上げる空一杯に炎が広がった。 竜騎士達は隊列を組み、暴徒としか形容しようのないアルビオン軍へ急降下攻撃を敢行する。 そんな彼らの眼前に、突如炎の壁が出現したのだ。 慌てて竜を操る手綱を引く者は最悪の結果を迎えた。 減速した状態で炎の中に飛び込み、全身を炎に包まれ落下する。 勇気を持って加速を行った者は、それでもキュルケの爆炎の魔手から逃れる事は出来なかった。 炎の壁はすぐに突き抜けたが、極端に酸素が失われた大気を吸い込んでしまった彼らは、 胸を襲う苦しみに耐え切れずやはり竜から転げ落ちた。 後方に位置していた為、辛うじて回避が間に合った数騎のみが空を飛びまわるが、見下ろす惨状に目を覆う。 アルビオンが誇る竜騎士が、ほんの一瞬で二十騎以上失われたのだ。 数十メイルにも及ぶだろう炎の壁、こんなものを作り出す魔法など聞いた事も無い。 竜騎士隊の隊長は、それでもと再度の突撃を命じる。 これほど規模の大きい魔法を連発など出来るものかと。 儀式や魔法の道具を用いて行ったと考えるのなら、確かに隊長の判断も正しかっただろう。 しかしこれはキュルケがただ一人で、詠唱のみを頼りに行った魔法である。 五度の突撃に失敗し、多大な損害を出した所で竜騎士隊副隊長は撤退を決意する。 隊長は怯える部下達を叱咤する為三度目の突入に参加し、とうに落竜していた。 「アンタいつの間にこんな大技使えるようになってたのよ!」 ルイズがぼろぼろ落ちてくる竜騎士達を見ながら怒鳴ると、 キュルケはぬぐってもぬぐっても垂れてくる汗に辟易しながら答える。 「何時までも貴女が一番何て思わない事ね!」 「言ってなさい! すぐに突き放してやるわ!」 「はっ! あの世までだって追い掛け回してやるわよっ!」 二人の会話に合わせるように、後方から急を知らせる馬が駆け寄って来る。 そんな馬と並ぶように上から声が響いて来た。 蹄鉄が大地を蹴る音は、それ以外の音を全て消し去る程の音量であったが、 確かに、その声はルイズとキュルケに届いたのだ。 「北西へ!」 二人が同時に見上げると、後方上空に見慣れすぎたあのバカヤロウが居た。 敵中をただ一騎のみで突き抜けてきたのだろう。 美しさすら漂わせていた竜の体はそこかしこに魔法傷やら矢傷を負っている。 それでも威容は失われず、雄々しき姿を、シルフィード、風の精の名に相応しい優美さを失わず、 何より目立つアルビオンの旗を掲げながらルイズ達の真上を飛び抜ける。 「北西へ! 敵本陣からずれてる! 私が先導するからついて来て!」 小さい体から、ありったけを振り絞って叫ぶのは、最後の仲間、タバサであった。 「は、はははははははっ! 何よタバサ! 貴女まで来ちゃったの!」 キュルケは笑いが止まらなくなった模様。聞こえるはずもない呼びかけをしながら笑い転げる。 狂騒の中にあっても、アルビオン兵達がこの旗を見失うはずがない。 兵達は更なる歓喜に包まれ、タバサとシルフィードに従い進路を変える。 ルイズはウェールズの側に馬を寄せる。 「殿下! 露払いは我等にお任せを!」 「わかった! ははっ! 全く君達は何処まで我等を奮い立たせてくれるというんだ!」 「無論! 敵大将を討ち取るまでですわ!」 軽やかに宣言し馬を進めると、真横に燦の馬が並ぶ。 「魔法は私が叩き落す! タバサちゃんの魔法と後ろからの風の魔法があれば、連中の飛び道具はほとんど通じん!」 すぐにキュルケも横に並ぶ。 「距離が詰まったら私が一気に大穴空けるからルイズはそこに突っ込みなさい!」 上空にタバサ、その真下を燦が駆け、すぐ後ろにルイズとキュルケが並ぶ。 何という興奮、何という感動か。 死すら恐れぬ勇猛果敢な戦士達が、タバサが掲げる旗に従い後に続いてくれる。 眼下にはそうありたいと心から願った、共に死ぬ事を無上の喜びと出来る友が居る。 四人が先導し、敵陣を切り裂く刃となる。 皆の顔が良く見える。 ルイズも、キュルケも、サンも、皆が歓喜に包まれている。 笑顔に自信などないが、それでも今自分が彼女達と同じように笑っていると確信出来る。 母には申し訳ないとも思う。 だが、全身を貫く興奮を、彼女達と共にあれる喜びを、誤魔化す事など出来ようか。 今自分は、人生において最高の時を過ごしている。 心の底から沸き起こる衝動に任せ、タバサもまた声を張り上げた。 「うぅあああああああああああっ!」 ロングビルは城内の全ての人間が船に乗ったのを確認する為、最後の点呼を行う。 青髪の少女、タバサの姿が見えないとの事だったが、 最後まで残っていた女性がタバサが竜に乗って飛び立つのを見ていた為、これは無視する事にした。 不意にロングビルの裾が引かれる。 「ん?」 ロングビルの腰までしかない身長の少女が、半泣きになりながら服にすがりついていた。 「……ぐすっ、お姉ちゃんが……お姉ちゃん何処?」 充分に確認はさせたはず。背筋に寒いものを感じながらロングビルは少女の両腋を掴んで勢い良く持ち上げる。 「誰か! この子の姉を知らない! 一緒に連れて来てる人は居ないの!」 ロングビルと共に、城中を駈けずり回っていた女性達もロングビルの側に集まって来る。 恰幅のよい女性はこの子に見覚えがあるらしく、ロングビルから少女を受け取ると宥めながら事情を聞いている。 神経質そうに見える痩せぎすの女性は、険しい表情のまま少女の姉の名を叫ぶも、何処からも返答は無い。 ロングビルの目算では外の軍もそろそろ攻城の準備が整うはずである。 中がすっからかんだと気付いた瞬間、連中は恐ろしい勢いで雪崩れ込んで来るだろう。 それまでに、痕跡すら残さずこの城を発たねばならない。 突然、ロングビルの脇を駆け抜ける影があった。 船から飛び降り、後ろも見ずに彼女は叫ぶ。 「ロングビル! その子は私が探す! 間に合わなければ出航しろ! お前ならばそのタイミングが計れるはずだ!」 そう言って走り去っていくのはアニエスであった。 血相変えてロングビルは怒鳴る。 「バカ! 戻りなさい! もうとっくに時間切れなんだってば!」 共に城を駆け回った女性達も、とうに時間切れである事は承知している。 連れ戻そうと勢いこむロングビルの腕を、恰幅のよい女性が掴んで止める。 「……我慢して、お願い」 ロングビルは振り向くと、女性に向かって両手を広げる。 自身の顔がひきつっているのにも気付かない。 「裏切って騙した後は見捨てろって!? あの子は親友なのよ! 私の大切な友達なの! もう嫌よ! 大好きな人を裏切るなんてもう耐えられない! 私は! もう二度とあの子を裏切るような真似したくないの!」 絶叫して女性の手を振りほどくと、桟橋すら使わず船から飛び降り、魔法の力で空を飛ぶ。 アニエスは城内を駆ける。 心なしか青ざめた顔色は、任務の致命的なまでの失敗によるものだ。 ウェールズ殿下からの密書が、今何処にあるのか全くわからなくなってしまった。 ルイズが密書を受け取ったとは聞いていたが、それを以後どうしたのかがわからない。 突入前にルイズが燃やしたのか否か。あのバカはそれすら明らかにせず突っ込んでしまった。 最悪の場合、密書を手にしたまま戦いに赴き、捕えられて敵の手に渡ってしまう可能性もある。 何という失態。捜査部に配属になって以来、最悪のミスをよりにもよってこのような場面でしてしまうとは。 このままではとてもではないがワルド様に合わせる顔が無い。 そんな焦りが、アニエス程の戦士の判断をも狂わせていた。 悔恨の念に苛まれながら走るアニエスの後ろから、鋭く風を切る音が聞こえた。 何事かと振り返ると、すぐそこに、ロングビルの顔があった。 魔法で空を飛びながら、勢いを殺す事すらせずアニエスに飛びついたロングビル。 二人は重なりあったままごろごろと廊下を転がる。 ようやく止まったと顔を上げかけたアニエスの眼前に、ロングビルのくしゃくしゃに歪んだ顔があった。 「バカッ! バカバカバカバカバカッ! 何でこんな事するのよ! 貴女まで死んじゃうじゃない!」 普段の冷静なロングビルの姿からはとても想像出来ない、駄々っ子のようにアニエスの胸を叩き続けるロングビル。 「お、おい……」 「うっさいバカッ! 船はもう行っちゃったわよ! どうしてくれるのよ! 私も一緒に死んじゃうじゃないっ!」 色々聞きたい事もあるが、とりあえずは、とばかりにアニエスはロングビルの両の頬を優しく両手で包み込む。 「まずは落ち着け。それで……その、なんだ……私の上からどいてくれるとありがたいんだが……」 仰向けに倒れるアニエスの上に、のしかかるようにロングビルが倒れこんでいるのだ。 「し、知らないわよそんなのっ!」 とか言いつつぴょこんとアニエスの上から飛びのいて座り込むロングビル。 体勢の恥ずかしさに気付き、ちょっと照れてるらしい。 何と言ったものか困りながら身を起こすアニエス。 「えっと、だな。ロングビル。船は行ってしまったんだな」 「……そうよ」 「ならば、何とか城から脱出しないとまずいな」 「……うん」 「ではこうしていても仕方あるまい。戦況を確認してこよう」 「…………」 立ち上がりかけるアニエスの手をロングビルが引いて止める。 「ロングビル?」 「……聞いて、欲しい事が、あるの……」 今にも敵兵が城壁を乗り越えて来るかもしれない。 そんな最中でありながら、ロングビルはぽつりぽつりと語り出す。 その真剣な表情にアニエスも抗議の言葉を飲み込む。 ロングビルは、自らの生まれと、今までにやってきた悪事を、 そしてアニエスを隠れて盗賊を行って来た事、今ここに居る理由を一つずつアニエスに語って聞かせた。 しんと静まり返った城内。 全てを語り終えたロングビルは、恐ろしくて顔も見れないのか俯いたままである。 アニエスは真顔のまま口を開く。 「ふむ、私にはそもそも友人と呼べる存在はあまり居なかったが…… それでも、盗賊の友人を持っているというのは珍しいと、思う」 先と同じように、両頬を手で包み込み、俯いたロングビルの顔を上げさせる。 「まずは生き残ろう。先の事はそれからでも遅くはあるまい。何心配はいらん、 私とお前の二人ならば大抵の問題は解決出来るだろうからな」 ロングビルの手を引いて立ち上がると、二人は並んで城の外に向かう。 途中、ぽつりとアニエスが呟いた。 「……すまん。任務に失敗し、何とか失点を取り戻そうと冷静さを欠いていた。 そのせいでまたお前を危険に巻き込む事になってしまった……」 ロングビルはおずおずと訊ねる。 「怒って……ないの?」 「正直に言うと何と答えたものか困っている。ただ、確かな事は一つある。私にはそれで充分だと思えた」 「確かな事?」 アニエスは振り返り、細い目を更に細くして答えた。 「お前は私の友だという事だ」 最早何も言わずにアニエスの首根っこに抱きつくロングビル。 「こ、こらっ。危ないだろう」 「うるさいっ、貴女はかっこつけすぎなのっ」 「人の事が言えるか。まったく、私の後を追って船から降りるなど正気を疑うぞロングビル」 ロングビルはアニエスの前にずいっと顔を寄せる。 「マ・チ・ル・ダ」 苦笑しながらアニエスは言い直す。 「マチルダ、だな。ほら、いつまでも遊んでないで、残った一人を探し出すぞ」 傭兵達を主とする前衛の軍は、真っ二つに引き裂かれ、アルビオン軍の突破を許してしまう。 たかが三百相手にあまりに脆すぎるが、それは決して彼等が弱卒であるからではない。 長きに渡って戦い続け、ようやく城にまで追い詰めたのだ。 たくさんの兵が倒れる中、何とかかんとかここまで生き残って来た。 後は攻城戦を残すのみ。それも消化試合のようなもので、勝利は目前であったのだ。 手柄を立てた報奨金も勝利した軍に居なければ得られない。 考えてみればヒドイ話だ。命を賭けて戦っても、勝利した陣営に属さねば褒美は受け取れないのだから。 もっとも負けた陣営に居たものはその大半が死んでしまうので、褒章だのなんだの言っても意味が無いのだろうが。 ともかく、首の皮を剣が掠めるような戦場を幾つも乗り越えここまで辿り着いた彼等に、 最後の最後でまた命を賭けろというのは難しい話である。 誰が勝利が決まっている戦いでわざわざ死ぬような真似をするというのか。 そんな彼等に、死兵と化したアルビオン兵が襲い掛かったのだ。 どうしてこれを止められよう。 空には竜騎士も戦艦も居る。 これらを頼めばそれだけで決着がつくだろうと少しでも考えてしまえば、もう生死の一線には踏み込めない。 しかし前衛が突破された後も、竜騎士は謎の魔法に倒され、戦艦もまた移動速度の速さに砲撃を加えられずにいる。 前衛の後ろに控えていた反乱軍主力の指揮官は、 かくなる上は数にて押しつぶすべしと槍衾を掲げ、メイジを並べて彼等を迎え撃つ。 土煙が見え、槍を構える兵達は生唾を飲み込む。 槍の後ろに並ぶメイジ達と共に居た指揮官は、その姿を見た時、自らの浅慮を悟った。 『おおおおおおおおおおっ!!』 まるで地の底からわきあがるような深い雄叫びと共に、 人と言わず馬といわず、全てを返り血に塗れさせた魔人の群れが襲い掛かって来た。 全ての兵が眦を限界までひり上げ、犬歯をむき出しにし、血と臓物に塗れた武器を振りかざす。 こんなものが、槍襖ごときで止まるはずがない。 慌てて魔法の一斉射撃を命じると、メイジ達も全く同じ感想を抱いていたのか、 これで止まってくれと祈るように魔法を放つ。 それと同時に先頭を走る集団を守るように、激しい暴風が吹き荒れる。 風の守りを突きぬけ魔法が効果を発揮したのか、 それすら確認出来ぬ凶悪な風と砂埃の中、メイジ達は闇雲に魔法を放ち続ける。 それ以外、この恐怖から逃れる術は無いのだから。 メイジ達が聞いたのは、一際大きな蹄の音、そして、自らを切り裂く剣の金切り音であった。 一足飛びに槍襖を飛び越え、槍兵達には目もくれず後ろのメイジ達を斬り殺す。 詠唱の間をも惜しみ、魔法すら使わず全て武器にて打ち砕く。 アルビオン軍がそのまま後ろの兵達に襲い掛かると、反乱軍の兵達は恐慌状態に陥ってしまい、 逃げる者や前に進む者が入り乱れて大混乱を引き起こす。 アルビオン兵達は、まるで雑草を刈り取るかのように無造作に、次々と反乱兵達を斬り倒していく。 倒れた兵士達の目は恐怖に怯え、驚愕に見開かれたままであった。 そんな中でも、やはり突破しきれず落馬するアルビオン兵も居た。 しかし落馬した彼らはやはり狂戦士のままであり、血に飢えた獣のように道連れを欲する。 彼等の常軌を逸した蛮勇が、反乱軍に更なる混乱を呼び起こす。 指揮官達が包囲の指示を下すも、そう動けるのは一部のみで、各隊の連携も取れぬままにただただ蹂躙されていく。 それでも兵には疲労があり、限界がある。そう盲信して部下に死ねと命じ続ける。 こんな馬鹿げた事があってたまるか、そう何度も口ずさみながら。 アニエスとマチルダの二人が城の窓から外を伺うと、かなり遠くからだが鬨の声が聞こえてきた。 「やばいっ! もう動き出してる!」 「き、来たっ!」 マチルダが声を上げるのと同時に、すぐ近くから声が聞こえた。 窓から体を乗り出して隣を見ると、どうやら逃げ遅れたらしい少女が同じく窓からこちらを覗きこんでいた。 「アンタああああああああ! 何やってんのよこんな所でえええええええ!」 思わず怒鳴りつけてしまうと、少女は首をすくめて言い訳を始める。 「ご、ごめんなさいっ! でも、私、その、何処に行っていいのかわかんなくて……」 恐らくあちらこちらとうろちょろしてたせいで、城内探索の目にも止まらなかったのだろう。不運にも程がある。 何より不運なのは、彼女の年が十四五才に見える事。 もっと小さければもしかしたら見逃してもらえるかもしれない。 しかしこの年で女性となると、そんな楽観的な見方はとても出来ない。 最初に突っ込んでくるだろう兵達の慰み者以外の未来が見えない。 いや、まあ、実際の所アニエスとマチルダの未来もそれっぽいのだが。 「あー! もうっ! とりあえず一度連中追い返すっきゃないじゃない!」 鬨の声は徐々に近づいて来ている。 マチルダはその速度の遅さから、攻城兵器を伴っていると当たりをつける。 実はマチルダさん、反乱軍の鎧を一着用意してあったのだ。 これを着て敵に紛れて脱出という作戦を考えていたのだが、今のままだと二着程足りない。 アニエスを伴い、大急ぎで城壁上へと駆け上がる。 矢穴から外をのぞきこむと、思わず声を上げてしまった。 「うっひゃー、空城攻めるのにどんだけ気合入ってんのよこいつ等」 文句を垂れながら得意の魔法を唱えるマチルダ。 「撃ち漏らしは私が……やるしか無いか。第一陣だけでも何とかしない事にはどうしようもないな」 「は、はいっ。頑張りますっ」 アニエスは後ろから聞こえてきた声の主へと振り返る。 先程合流した逃げ遅れた少女であった。 「……何故お前がここに居る?」 「えっ!? だ、だって一人じゃ心細いじゃないですかぁ……」 「知るか! ここはいいから城の中で二三週間ぐらい隠れられる場所でも探して来い!」 「ひゃ、ひゃーいっ!」 緊張感があるんだか無いんだかわからない悲鳴と共に城壁を駆け下りていく少女。 そんな馬鹿をやってる間にマチルダの術が完成する。 身の丈三十メイルの巨大ゴーレムは、これ程の規模の戦争においても、存分に存在感を発揮する。 城壁の高さが十メイル程なのだから、さにあらんやである。 勢い余って城下町をぼこぼこにしながら、城壁へと擦り寄ってくる攻城兵器を次々踏み潰し、蹴り飛ばしていく。 しかし如何に巨大ゴーレムといえど、城壁全てを守れるほどの規模ではない。 鈍重なゴーレムの手の届かない場所に、巨大なはしごをかけて城壁を昇らんとする敵兵達。 アニエスは慌ててその場に駆けつけると、鉄のつっかい棒ではしごを思いっきり前へと突き出す。 城壁によりかかる事でバランスを保っていたはしごは、後方へと揺らされ、真後ろにばたーんと倒れてしまう。 十メイルの長さの梯子であり、そこに人が乗っても充分耐えうる強度を持っているのだ。 そんなとんでもない重さのものを、たった一人で押し倒すなど並の労苦ではない。 鍛えぬいたアニエスをして、ただの一回で腕の中に鉛でも仕込んだような疲労に襲われる。 「こ、これは……流石に厳しすぎやしないか」 とか言っている暇も無い。 すぐに次の梯子が別の場所にかけられている為、急いでそちらへと向かう。 そんなアニエスの視界に、思わぬ物が入ってきた。 「何? あれは……」 遠眼鏡でハヴィランド宮殿の様子を探っていたミスタ・グラモンは、その体勢のまま壁を力の限り殴りつける。 すぐ隣でエレオノールが切羽詰った様子で問いかけてきている。 「ど、どうなんですの! 城はまだ無事なのですか!」 「……攻城兵器が向かっているというのに、城側に反撃する気配がまるで無い。 こちらからは正門が見えませんが、事によっては既に破られているのかもしれません……」 「ど、どういう事ですか! わ、私にもわかるように説明なさい!」 「第一陣の攻城攻撃は既に行われており、その結果城壁の一部が破られている可能性があるという事です。 念を入れる為に後続の攻城部隊を前進させておくのは初歩の判断ですし」 「そ、それでは中に居るルイズは!」 「……最早、手遅れ、かと……」 城から出たアルビオン決死隊が突撃を敢行しているのはミスタ・グラモン達も把握している。 まさかそこにルイズが居るなどと夢にも思っていないだけだ。 「そんな寝言を聞くためにわざわざこんな所まで来たのではありません! すぐに発進なさい! ルイズを助ける為に私達は来たのでしょう!」 ヒステリーを起こしかけるエレオノールに、野太く、重みのある怒声がたたき返される。 「貴女まで失うわけにはまいりません!」 たおやかな外見に似合わぬミスタ・グラモンの大声に怯みかけるが、エレオノールもここは決して引けぬ場面である。 「私の命などどうでもよろしい! ルイズを! あの子を救わずしておめおめトリスタニアになど戻れますか!」 突然エレオノールの口の前にミスタ・グラモンが手を翳す。 失礼極まりない行為だが、遠眼鏡を覗く彼の反論を許さぬ強い表情が、エレオノールの怒りを押し留める。 「……ゴーレムだ! 良しっ! 城の防御はまだ生きているぞ!」 「え? え? え? それはどういう……」 エレオノールの言葉には答えず、艦内全てに伝わる伝声管に向かって叫ぶ。 「ロンディニウムの城、ハヴィランド宮殿はまだ生きている! これより我等は城中庭に強行着陸し、ルイズ・フランソワーズを救出する! 総員覚悟を決めろ!」 反乱軍の戦艦は丸々健在の中、強襲揚陸艦一隻で戦場へと乗り込もうというのに、部下達は威勢の良い歓声を上げる。 急速浮上をかけ、身を隠していた森の中から浮き上がると、反乱軍の戦艦もそれに気づいたのか、 かなりの遠間ではあるが風の魔法で所属を確認して来た。 こうなったらハッタリでも何でも突き通すしかない。 ミスタ・グラモンは毅然とした態度で言い放つ。 「我等はトリステイン軍だ! ハヴィランド宮殿にはトリステインの貴族が残っている! ただちに攻撃を止めろ! あの方に傷の一つでもついててみろ! トリステインの総力を挙げ貴様等を叩き潰してくれる!」 連中も寝耳に水であろう。向こうからの返信が来ない間にも艦はハヴィランド宮殿へと突き進んでいる。 『待て! トリステインだと!? そんな話は聞いていないぞ!』 「我が言葉を疑うか! 旗も見えぬとは何処の田舎兵だ! 官姓名を名乗れ!」 『しょ、少々お待ちを! 今司令に確認します故!』 ぼそぼそっとエレオノールが問う。 「……もしかしてこれで攻撃止まったりするものですの?」 「そんな訳ありません。嘘をついたつもりはありませんが、ただの時間稼ぎにしかなりませんよ」 傲慢不遜を地で行くエレオノールも、 眼下に広がる五万の大軍を相手にトリステインの爵位が通用すると思う程、世間知らずでも無かった模様。 それにこの艦に乗ってからというもの、どうにも調子が狂ってしまっている。 原因は間違いなく、隣に立つ食事の時からは想像もつかない程に凛々しく、 雄々しいミスタ・グラモンのせいであるとは思うのだが。 艦橋に立ち、城壁付近の戦況に目を凝らすミスタ・グラモンは、アルビオン側の対応のまずさに歯噛みする。 「何故ゴーレム単騎なのだっ! 他に兵は居ないというのか!? あれでは防ぎきれんぞ!」 戦艦の姿を認めゴーレムを動かそうとするマチルダを、アニエスが大声で止める。 「よせ! あれはトリステインの船だ!」 「トリステイン!? 何だって連中がここに居るのよ!」 「ワルド様のご配慮かもしれん! 間違っても落とすなよ!」 ロクに減速もせぬまま城の中庭目掛けて突っ込んでくる艦は、寸前で急減速をしかけ、 浮力とのバランスを取りながら芸術的といえるほどの見事な着陸を見せた。 すぐに中から一人の男が飛び出し、城壁上へと向かうのが見えた。 アニエスはともかく事情を聞かねばと艦の側に走り寄ると、艦上からおよそ戦には似つかわしく無い、 高貴な装束に身を纏った気の強そうな女性が現れた。 「誰か! 誰かある! ルイズ・フランソワーズの所在を知るものはおらぬか! 我はエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールなるぞ!」 名乗りを上げた後、すぐに彼女もアニエスに気付く。 「そこの貴女! ルイズ・フランソワーズが何処に居るか……」 アニエスは駆け寄りながら大声を張り上げる。 「ルイズ・フランソワーズですと! 彼女なら突撃に参加し今は城の外です!」 ようやく側まで辿り着いたアニエスは、一息つく間もなくエレオノールに両肩を掴まれる。 「外ですって! 何故ヴァリエール家の息女にそのような真似を!」 「誰よりも先に飛び出したのは彼女ですよ! 突撃部隊はまだ残っているようですが、彼女がどうなったかまでは……」 へなへなと力なく崩れ落ちるエレオノール。 ミスタ・グラモンから、外に飛び出した決死隊達はどう局面が転がろうと全滅は免れぬと聞かされていたのだ。 艦からは兵達が次々飛び降りて来て、アニエスの話を聞くと、皆が一斉に城壁上へと向かって行く。 ルイズ捜索の為に用意していた彼等だったが、 ルイズがこの場に居ないとなると次は城を守るのが自分達の役目だと誰もがわかっているのだろう。 艦が止まるのも待たず飛び出したミスタ・グラモンは、魔法で空を飛びあっと言う間に城壁上に辿り着く。 「やはり……守備隊は貴女一人でしたか……」 マチルダは思わぬ乱入者に、まともに対応している程余裕が無かった。 「アンタ誰よ! 何しに来たの!」 気を取り直したミスタ・グラモンは、一声だけ返すと詠唱を開始する。 「手伝います! 私はトリステインの者です!」 もっと詳しい話を聞かせろと文句を言いかけたマチルダの口が止まる。 マチルダの操るゴーレムから少し離れた所に、もう一体、全長二十五メイル程、 マチルダのそれより一回り小さいだけの巨大なゴーレムが現れたからだ。 「あ、あんたもしかしてゴーレム使い?」 ミスタ・グラモンは微笑を返した。 「アルビオンにこれほどの術者が居るとは知りませんでした。中央より西側は私が、東側をお願いします!」 すぐにミスタ・グラモンの部下達も城壁上に上がって来て、ロクに打ち合わせもせぬまま城の守備任務に就く。 二箇所程、既に敵兵が昇りかけていた場所があったが、あっと言う間に制圧して取り戻す。 あまりの手際の良さにマチルダは感嘆の声をあげた。 「へぇ、何だかわかんないけど、ちょっとはマシになって来たじゃない」 あくまでマシになって来た程度で、これから敵もこちらの体制に合わせた攻撃を仕掛けてくるとなると、 対処しきれるかどうか。 船が一隻手に入ったのだ。これで逃げる手もあるにはあるが、今下手に引いては、 出港準備を整える前に船に乗り込まれてしまう。 今はとにかく敵の攻撃を凌ぎきり、一呼吸が空く間まで堪えるしかないのだ。 遂に主力部隊の後ろが見えて来た。 狂気に満たされた部隊の中で、まともに展開が読めるのは現在、戦争経験も豊富なウェールズのみである。 ともすれば狂騒に巻き込まれてしまいがちな自身を叱咤し、 この類稀な攻撃力を誇る部隊を、何としてでもクロムウェルに叩き付けてやらなければならない。 先頭を突っ走る四人組みにそれを頼む事も出来ない。 宴会の時に聞いた話はとても信じがたい事であるが、彼女達はこれが初陣であるはずなのだから。 実際所々に戦争慣れした者なら決してやらないような所作も見られる。 竜騎士はもう接近して来なくなったが、それで覚悟が決まったのか、 敵も地上部隊のみで止めてやると大挙して押し寄せてくる。 これらを貫き、ようやく主力部隊を抜ける所まで来たのだが、この先が難関だ。 ここから敵本陣までの間に、戦艦の砲撃を幾度となく受けるだろう。 こちらがスピードを落としたら、あっと言う間に袋叩きになる。 しかし自身が乗る馬を見下ろして見ると、最早限界が近い事がわかる。 ウェールズの乗る名馬ですらこうなのだ。他の馬達はよりヒドイ有様であろう。 凄まじい轟音が轟く。 キュルケが爆炎の魔法で、敵陣のケツに大穴をぶち空けたのだ。 その先にクロムウェルの本陣を見つけた兵達は、我先にと大穴に飛び込む。 悩んでいても仕方が無いとウェールズも続き、敵兵の居ない大地を一直線に駆け抜ける。 案の定、遠慮呵責の無い砲撃に曝される。 しかし、兵達の頼もしさはどうだ。 死の砲弾があちらこちらに降り注ぐ中、誰も彼もが怯えの欠片も見せず渦中へと飛び込んでいくではないか。 見ろ、我等の先に待ち受ける反乱軍共の顔を。 本陣にある最強の近衛であるはずの彼らの、恐怖に怯えるあの様を。 先頭を走る兵士に馬を寄せ、ウェールズは突入直後の策を命ずる。 一万の兵を相手にしては、如何に悪鬼の兵達とて抜けきれるとは思えぬ。 ならば最後の最後で、狂気のみではないアルビオン軍の強靭さを知らしめてやるまでだ。 ハヴィランド宮殿城壁上での戦いは続く。 早速対策を打ってきたのか、反乱軍は同じく巨大なゴーレムを二体前面に押し出して来た。 大きさは二十メイル弱、軍の主力としては申し分ない大きさだが、 マチルダ、ミスタ・グラモンのそれと比べると一回り以上小さい。 しかし連中はそれで充分なのだ。 二体のゴーレムを使い、こちらのゴーレムを抑えてしまえばそれだけで城は堕ちたも同然。 マチルダはもう一人のゴーレム使いに対策を問う。 「貴方もゴーレム使いなら! 敵にゴーレムが来た時のやり方はわかるわね!」 ミスタ・グラモンは不敵に笑い返す。 「武門の誉、グラモン家の者にそれは愚問です! 二体抑えられますか!?」 「やってやるわよ!」 迫り来るゴーレムに、マチルダ操るゴーレムが駆け寄っていく。 これがどれ程至難な技か。敵側でゴーレムを操るメイジ達が驚きに目を見張る。 両手をバランス良く振りながら、両足を過不足無い量振り上げる。 ゴーレムの過重は人のそれと大きく異なる。骨格が無いのだから当然であろう。 下手な過重移動を繰り返した日には、あっと言う間にゴーレムは崩れ去ってしまうのだ。 しかるにマチルダは、ゴーレムをまるで人が動き回るように精密に操る。 その匠の技に、ミスタ・グラモンからも感嘆の声が漏れる程だ。 勢い良く駆け寄ったマチルダのゴーレムは、そのままの勢いを殺さず、敵ゴーレムの一体に体当たりを食らわせた。 土砂がそこらに撒き散らされ、地響きと共に一体が大地に倒れ臥す。 残った一体がマチルダゴーレムの方を向くと、両腕を振り上げ取り押さえにかかる。 これをマチルダは正面から受け止め、より大きな自身の体重で押しつぶさんとのしかかる。 ずしゅずしゅという奇妙な音と共に、のしかかられたゴーレムの胴体がひしゃげだす。 しかしそれを潰しきる前に、先程倒したゴーレムが起き上がり、マチルダのゴーレムに後ろから抱きついてくる。 これで二体による挟み撃ちとなり、完全にマチルダのゴーレムは動きを封じられ、 今度は逆にマチルダのゴーレムの方が全身から悲鳴を上げ出す。 「ばーかっ」 同時に、完全にフリーになっていたミスタ・グラモンのゴーレムが、のっしのっしと歩を進めていた。 目指す先は敵ゴーレム使い。 しかし、彼らも良くわかっているのか兵達に囲まれ、かなり後方からゴーレムを操っている。 辿り着くまでは随分かかりそうである。 「充分なんですよ、ここまで来ればねっ!」 ミスタ・グラモンのゴーレムの、右手が不自然に盛り上がる。 そして何と、手の上にもう一つ丸い土の塊が出来たではないか。 いやこれは土ではない。明らかにより高い硬度であろう、艶やかな光沢を放っていた。 ミスタ・グラモンはその手に持った巨大な金属の塊を、えいやっとばかりに放り投げる。 ゴーレムに物を投げさせるのは、かなり昔からある手法である。 何せ質量がデカイので、攻城や時に戦艦への攻撃にすら用いられる事もある。 だが、微細なコントロールは術者の力量に寄る所が大きいので、対人用として用いられる事はあまり無い。 しかるに、ミスタ・グラモンのゴーレムが放った塊は、 放物線を描き吸い込まれるようにメイジ達の頭上に落下した。 直後、マチルダのゴーレムを取り押さえる二体が二体共土くれに戻ったのは、見事命中した証であろう。 「やるじゃない! もう少し時間かかると思ってたわよ!」 「そんな余裕ありませんからね。さあ、第一陣も大詰めですよ! 次は連中形振り構わず来ますから!」 何とかゴーレムを撃退したが、すぐに次の攻撃が押し寄せる。 山ほどの攻城兵器と、津波かと思われる程の兵の群れが、一度に城壁へと詰め掛けて来たのだ。 如何に二体のゴーレムとてこれら全てを防ぎきる事など出来はしない。 城壁上で石を落としたり、油を流したりしているミスタ・グラモンの部下達も、 あっちもこっちもとエライ騒ぎになっている。 ゴーレムを相手にしていた時の比ではない。 マチルダもミスタ・グラモンも、押し寄せる敵を前に対応のみに追われてしまう。 だからこそ、攻め手が意図的に仕掛けた視覚の盲点を突かれてしまった。 マチルダとミスタ・グラモンのゴーレムを出来る限り端に引き寄せ、 両翼から梯子隊を用いて間断なく攻め立てる。 誰もがそれぞれの役割を果たすのに必死な中、 他の兵士達に隠れるように正門へと達した攻城槌を引きずってきた男達は、 勝機はここにありと正門めがけて攻城槌を叩き込む。 魔法を併用した攻城槌の轟音は戦場中全てに響き渡る程で、 皆がそれとすぐに気付いたが、対応出来る者など一人として居なかった。 四度の打撃音の後、遂に正門がこじ開けられてしまう。 城壁を頼りとするからこそこの数でも何とかなっているのだ。 中からも押し寄せて来られては、退路すら失い個別に倒されるのみ。 どうせもう開かんとばかりに、ロングビルは魔法で正門前に山ほどの土砂を積んでおいたのだが、 僅かな時間稼ぎにしかならなかった。 薄く開かれた正門に、再度攻城槌を叩き込むと、人が三人程並んで入れる程の隙間が出来る。 反乱軍は今度は我等の番とばかりに正門へと殺到するが、正門を抜けてすぐの所に待ち構えていた影達に阻まれる。 「ここから先は通さないっ! 見よ! これぞ対ルイズ用の秘策!」 そこには、白銀の完全鎧を纏った美々しき騎士が整然と並んでいた。 攻城戦に当たる兵は皆、汗と汚れに塗れているのが常であるのに、 かの騎士達にはほんの僅かな隙すら見られず、無機質に侵入者達を見つめている。 「ゴーレム百体だあああああああ!」 薔薇の意匠を凝らした杖を持ち、ひ弱げな容貌を精一杯強面にせんと敵兵達を睨みつけているのは、 ギーシュ・ド・グラモンであった。 ギーシュの声に合わせ、槍を構えた青銅のゴーレムが一斉に突きかかる。 最初に乗り込んだ男達は、何と思う間もなく串刺しになる。 何せ百体がかりである。後から後から入ってくる兵達も次々と餌食になり、屍の山を築く。 中に何が待ち構えているかも知れない敵軍の城に一番乗りしようという猛者達だ、 そんな無数の槍すら飛び越えゴーレムに一撃をくれる勇者も居たが、 急所の無いゴーレムをただの一撃で破壊するのは至難の業。 また、後方に居て槍の届かないゴーレムは、正門前に向け味方の頭を越すように槍を投げつける。 失われた武器は、敵に刺さり抜けなくなった槍は、ギーシュがすぐに再生させて次の攻撃を行う。 こんな近接した状態で投擲武器など正気の沙汰ではないが、 よしんば味方に当たったとしても所詮はゴーレム。痛くも痒くも無い。 さしものギーシュも、百体分の動き全てを細部までコントロールするのは不可能である。 だが、十対を一塊とし、十個のグループとして動きを操るのならば、何度も何度も試行錯誤を繰り返し、 動きの精度を上げてきた青銅のゴーレムならば、ギーシュにも百体を操る事が出来るのだ。 何とかせねばと城壁上から飛び降りようとしていたミスタ・グラモンは歓喜の声を張り上げる。 「ギーシュ! ギーシュ! お前も来ていたのか! そうか……優しいだけの子だと思っていたが……お前にもグラモン家の血は流れていたか!」 か細げな印象が強かった弟は、兄の動きを察し、我も戦場へと戦艦に潜んでいたのだろう。 そんな蛮勇が、正門奥で見事に仕事をこなすゴーレム使いの技術が、 百体を操り尚意気軒昂なその様が、兄の目に眩しく映る。 「良くやった! そこは任せるぞギーシュ!」 次々襲い来る敵に声を出す余裕も無いのだろう。ギーシュは兄に向かい、口の端を上げるだけで応えた。 前ページ次ページゼロの花嫁
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前ページ次ページゴーストステップ・ゼロ シエスタは恐怖していた、目の前の少年が言っている事はただの言いがかりに過ぎない。それはあまり学が無いシエスタにとっても理解できる事実だった。 けれども彼女は平民で、目の前の少年は貴族…それは事実を覆して有り余る身分の差でもあり、覆し様の無い力の差でもある。 ゼロのフェイト シーン06a “ヒューとルイズのスタイル” シーンカード:イヌ・Ⅰ(審判/事件の決着。逮捕。失われしものの再生、復活。蘇生。浄化。) 「も、申し訳ありません!まさかその様な事になるとは露知らず。」 「全く、これだから君達平民は度し難いんだ。 いいかね、ああいう時は後からそっと渡してくれれば良かったんだ。それをよりにもよって「トリック・オア・トリート」誰だ!」 いきなり耳元で囁かれたギーシュは驚き飛び退る。ふり返ると、今まで自分がいた場所に見た事が無い平民の男が立っていた。 珍しい仕立てのコートを纏っている男だ、印象としては鋭利な刃物を感じさせるが所詮は平民、特に脅威という訳でもない。 しかし、この平民には見覚えがあった。知ったのは数時間前だが…確かルイズの使い魔の平民だ、良く考えるとメイドと共に居たのはこの男ではなかったか。そう思うと一層苛立ちが募る。 「君は確かそこのメイドと一緒にいた男じゃないか、貴族にいきなり言葉をかけるとは躾がなっていないようだね。 まあゼロのルイズの使い魔じゃあしょうがないともいえるけど「一言いいかい?」何?」 「確かミスタ・グラモンで間違いありませんね?」 「その通り、ギーシュ・ド・グラモンとは僕の事だ。で、何だね言い訳位聞いてあげようじゃないか。」 「いやね、先程からそちらにいるシエスタを責めていらっしゃるように見えますが、それはとんだ見当違いだと言いたいん ですよ。」 「どういう事だね、まさか僕の所為だとでも言いたいのかい?」 「いえいえ、別にミスタが二股かけようが此方には関係は無かったのですが。事、香水壜の件について言えばミス・モンモランシに渡したのは俺でね、彼女は一切関知していないんですよ。」 ギーシュは目の前の平民がメイドの少女を助けようとしている事を感じとった。 改めてメイドの少女を見るとなるほど、平民にしては見目が良い。どうやらこの僕を出汁にしようとしているのだろう、 何とも無謀な平民である。居るのだ時折こうして貴族に立ち向かう無謀な平民が、そうした身の程知らずはどう対処すべきか…ギーシュは至極まっとうな貴族の思考の結果にたどり着いた。 「ほう、それでは何かね?君はこういった事態になると分かっていながらモンモランシーに香水壜を渡したというのかね?」 「流石にここまでとは思いもしませんでしたがね。俺としては、大事な贈り物を落とされた彼女からちょいとお小言を貰う程度だと思っていたんだが。まさか二股かけているとは思いもよらず…いや、誠に申し訳ない。」 「なるほど、どうやら君は躾がなっていないようだね。いいだろう、そこのメイドの分の躾は勘弁してあげるよ。その代わり君には2人のレディの心と、僕と彼女達の名誉を傷つけた詫びをしてもらおうじゃないか。」 ヒューは呆れていた、未熟といえばそれまでなのだろうが。ここまで自分に都合が良い思考展開ができるのは、一種の人格障害かアッパー系のドラッグでもキメている状態としか思えなかったからだ。改めてギーシュの目を見てみるが、ドラッグ特有の瞳の濁りは見受けられい…となると人格障害という線が濃厚になってくるが、そこまでとなると最早カウンセラーが必要になるレベルだろう。 対するギーシュといえば、黙り込んだヒューを見て満足感に浸っていた。ようやくこの田舎者の平民にも貴族に逆らう事の恐ろしさが分かったと見える。しかしここで許しはしない、この平民にはモンモランシーとケティに詫びてもらわねばならないのだ。流石に2人との関係を元通りにはできないだろうが、少なくとも2人の傷ついた心は幾許か癒されるだろう。その後はこの平民に躾をしてやろう、大体この平民の主であるルイズからして僕達に迷惑をかけまくっているのだ、彼女自身に手を 出せない以上、この平民を使って日頃の鬱憤を晴らさせてもらうとしよう。 「どうしたね、今更自分がした罪におののいても許しはしないよ。そうだな、まずは「すまないが」何だね!さっきから人の話を」 「得意になっている所すまないんだがミスタ…、面倒だなギーシュと呼ばせてもらうぞ。話を聞いていると俺やシエスタがギーシュ、君や君に二股をかけられていた女性達に詫びる必要性は感じられないんだが?」 「な!話を聞いていなかったのかね君は!」 「いや、聞いていた。だからこそさ、俺があの時渡さなかったのは友人達からからかわれるのが恥ずかしかったんだろうという考えからだった。流石にあの時点で、君に彼女であるところのミス・モンモランシにばれては困る秘密があるなど思いもしなかった。 それとも君ならアレだけの情報でそこまで推測できると? 第一、二股をかけたのは君だろう。なら詫びるのは俺やシエスタではなくギーシュ、君であるべきだ。断言するが俺やシエスタが彼女等に詫びた所で以前の関係には戻れないし「もういい!」っと」 「何と、何と無礼な平民だ!せっかくこの僕が穏便に済ませてやろうと思って慈悲を示してやったのに!貴族を呼び捨てにするのみならず、説教まで!よかろう、そこまで貴族を愚弄するというのであれば。貴様が愚弄した貴族の、いやメイジの力というものをその身に刻んでくれる!決闘だ!」 ギーシュの常ならぬ怒号に食堂が沸いた。 ギーシュは「ヴェストリの広場で待つ!逃げるなよゼロのルイズの使い魔!」と言って食堂を後にする。 それを見たヒューは、少しからかい過ぎたかと反省してシエスタに広場の場所を聞こうと。見てみると何かあったのかシエスタの顔色は真っ青で身体はガタガタと震えていた。 「どうしたシエスタ。風邪で「こ、殺されちゃいます!」は?」 「ヒューさん、貴族を本気で怒らせたら…」 そこまで言うと、シエスタは泣きながら走り去っていった。 シエスタが走り去って行くのを見送ったヒューは、改めてルイズに広場の場所を聞こうとルイズの元に進む。 歩いているヒューにキュルケとその友人らしい少女が近付いてくる。キュルケの表情は心配半分、好奇心半分という感じだ。 「よう、キュルケ。」 「よう、じゃないわよヒュー大丈夫なの?ギーシュあんなに怒らせちゃって…。 貴方が住んでた所がどういう場所か知らないけど、貴族に勝てるの?」 「さあ、何とかなるんじゃないか?見えない場所から襲撃されるわけじゃなし、目の前ならなんとでもしようがあるさ。」 「あら、大した自信だこと。安心しなさいな死にそうになったら止めてあげる、その前にルイズが出張ってくるだろうけどね。」 「そいつはありがたいね。 ルイズ、ルイズお嬢さん、ちょいと聞きたいことがあるんだけどいいかい?」 と、ルイズの席近くに来たヒューは彼女に話しかける。 考え事をしていたらしいルイズは、言葉だけでは気付かなかったのか、肩を揺さぶられて初めてヒューとその後にいる2人に気が付いた。 (キュルケを見た途端、眉間に深い皺が寄ったが) 「何?ヒュー、昼休みの終わりまでまだ時間があると思うんだけど…あら?妙に閑散としてるわね。」 そろそろ、昼休みが終わるのかとヒューに聞いた後、常ならぬ食堂の雰囲気に首を傾げる。 周りを見回す主にヒューは何でもないかの様に会話を始める。 「ああ、何でだろうな。ところでヴェストリの広場って何処か分かるかい?」 「ヴェストリの広場?分かるけどどうして?」 「ちょいと野暮用でね、親切な貴族が色々教えてくれるらしい。」 「ふーん、まあいいわ。食事も終わったし散歩がてら案内してあげる、ついてらっしゃい。」 「悪いね。」 その主従の会話を聞いていたキュルケは呆れるしかなかった。決闘の“け”の字も口に出さない使い魔もだが、今までの騒動に気が付いてもいなかったルイズには呆れを通り越して感心すらしていた、これだけのの集中力を発揮するメイジはスクエアにもそういないはずだ。 それだけに、この少女が魔法を使えない事を残念に思っていた。彼女が魔法の才を開花させていたならば、どれ程のライバルになれただろう。きっと、すぐ隣を歩いている読書の虫の少女と同じ位のライバルになれたにちがいない。 ヴェストリの広場が近付くにつれ、生徒達のざわめきが聞こえてくる。何せ貴族の子女を集めた全寮制の学院だ、王都までの距離もそれなりにある為、娯楽にも乏しく若い好奇心は常に飢えていた。 そんな彼らの娯楽は大体異性や魔法の力に向いていく。しかし今日は違う、滅多に見られない決闘なのだ、相手は平民とはいえ“あの”ゼロのルイズの使い魔の平民である、毎日魔法の練習と称して爆発を繰り返す迷惑な公爵家の娘の使い魔だ。 流石にルイズ自身には手は出せないが、使い魔となれば話は別だ。ついでに平民である、幻獣や猛獣ならあるいは…という事もありえるが何の力も持たない平民なら負ける事は無い。 そう、これは結果が見えた安全なレクリエーション。残酷な見世物だった、ここに集った貴族達は一部を除いて平民の使い魔が血みどろになって許しを請う場面を見に来ただけなのだ。それは決闘の当事者でもあるギーシュとて同じだった。 (ふむ、今考えると色々と大人気なかったかな?まぁいい、ここはゼロのルイズの代わりにあの平民を躾てやろう。 手足の1,2本も折ってやって土下座位させてやれば見物に来た皆も納得するだろう。 そうそう、ケティには申し訳ないけど今度の虚無の曜日にはモンモランシを連れて王都に買い物に行こう。いや、それよりもこの決闘が終わったら許しを請わなければなるまい。…あああ、思い出したらますます腹が立ってきた。) 「来たぞ!ゼロのルイズの使い魔だ!」 「ルイズも一緒なんだ、あれ?キュルケとタバサもいる。」 「珍しいなあの2人が来るなんて。」 「しかし、あの平民のおっさん見れば見るほど変な格好だよな。」 ヴェストリの広場に来た4人はルイズを除いて平然としていた。ヒューは飄々としており、キュルケは呆れ気味、タバサに至っては本から顔を上げようともしない。 しかし、残る1人…ルイズはというと…困惑していた。元々このヴェストリの広場は学園の西側に位置する為、日があまり差さない=人があまり寄り付かない場所だった、それなのに何故ここまで人が溢れているのだろう。 改めて広場を見ると、そこにはギーシュが立っていた。頬に赤い手形がある所をみると、またモンモランシーと揉めたのだろう、懲りない男である。となると、ヒューが言っていた“親切な貴族”というのは彼の事なのだろうか? …おかしい、変だ、ありえない、だってギーシュなのだ。自分を薔薇とか言って、制服も変な改造をしている、女誑しの貴族。 そう貴族なのだ、ヒューは男である、女ならもしかしてありえたかもしれないが、ギーシュが平民の男に世話を焼くとは到底思えない。 そういえば私はヒューがどういった経緯で“貴族の親切”とやらを受けるようになったのか知らない。嫌な予感がする、片や貴族を敬わない平民、片や女好きの貴族(手形付き)。意を決したルイズは恐る恐るヒューに尋ねてみる事にした。 「ね、ねぇヒュー?そういえば私、貴方に色々と教えてくれるっていう貴族の事を何も聞いていないんだけど…。 どういった経緯でそうなったのか教えてくれる?」 「ん?ああ別に大した事じゃない。 落ちていた香水壜を製作者に渡したら、それが元で持ち主の二股が発覚してね」 「あー、もう良いわ大体分かったから」 「そうかい?それは良かった、じゃあ行ってくる。」 「ちょ!ちょっと待ちなさい! いい?平民は貴族に決して勝てないの、悪い事は言わないから謝りなさい。何なら私も一緒に謝ってあげるから、いい「それはだめだ」 何でよ、主が謝れって命令してるのよ?いいから謝ってきなさい。」 「ルイズお嬢さん、お嬢さんは自分が悪くないのに謝れるのかい?それが君がいう貴族ってヤツなのか?」 「それとこれとは「違わないね」な!」 「俺はこの間までロクでもない生き方をしていた、ちょいとした薬を手に入れる為にまともなフェイトじゃあ引き受けない仕事も引き受けた、真っ暗な道を明かりも無しで歩いているようなものだったよ、そんな時一つの事件を解決したのさ。 その事件の最中、1人のイヌ…ここらでいう騎士とか衛視みたいなもんだが、ソイツとソイツの部下達が犠牲になった。まぁソイツも大概な悪党だったんだが最後に真実ってヤツを明かす為に自分のスタイルを貫いたのさ。」 「で?何が言いたいのよ。」 「ここで謝ったら俺のスタイルを貫けなくなるって事さ、ついでに言えばあの世で旦那に焼かれちまう。」 ルイズはヒューの言葉を考えた、スタイル…多分これは生き様という意味だろう。それを自分に当て嵌めてみる、自分は貴族だ。確かに魔法は使えないだろう、だけど生まれてから今まで“貴族たれ”と育てられたしそう生きてきた、これからも“貴族として”生きるだろう。 ならば“貴族らしく”生きる事が自分のスタイルだ。例え魔法が使えなくても、例えゼロと馬鹿にされても自分はこの道を歩くだろう。ならば私はヒューの生き方を、スタイルを妨げる事はできない。 それは、ある意味自分に貴族である事を辞めろと言う事に繋がるだろうから。 「分かった、もう止めないわ。 けど死にそうになったらアンタの意見なんて聞かないわよ、何としても止める。それが私のスタイルだから。」 「そいつはニューロだ。 じゃあ俺もゴーストステップのハンドルに相応しく、2秒で片付けてくるさ。」 そう言うとヒューは、3人から離れて広場に向かう。目の前には恐らくバサラであろう少年、周囲には笑いを浮かべた魔法学院の坊ちゃん嬢ちゃんといったエキストラがひしめいている。トーキョーN◎VAから遠く離れた異界で、ヒュー・スペンサーはスタイルを貫く為の舞台に立つ。 時間を少々巻き戻し、所を変えてここはトリステイン魔法学院の学院長室。オールド・オスマンなる老メイジの執務室。 しかし、今この場で繰り広げられている光景は、そういった重々しい外聞とはかけ離れた光景だった。 「痛い!ごめん!許して!もう、もうしませんから!」 情け無い老人の悲鳴と共に、重々しい打撃音が響き渡る。打撃音を出しているのは妙齢の美女の手足だった、その両手両足はオスマンの身体の急所を的確にかつ、仕事に支障が出ない程度に痛めつける。しかも服に隠れて見えない部分ばかりを狙うという周到さだった。 「あたた、ひどいのうミス・ロングビル。いたいけな老人にここまでの暴力を振るうとは。」 「セクハラが酷いようだと王宮に報告すると以前から言っているのに、収まる気配が無いからですわ。」 「はっ!王宮が怖くてセクハラが出来るか! そんなんじゃからミス・ロングビルは婚期を逃すんじゃ!」 そう言いつつオスマンがロングビルの腰に手を伸ばそうとした瞬間、足から駆け上ってきた激痛に悶絶し足を凝視する。見てみると、ロングビルの踵がオスマンの布靴に包まれた足の小指を踏みつけている。しかも、ゆっくり捻る様に踵を捻っているのがオスマンの目に飛び込んできた。 最早、オスマンには悲鳴を上げる程の余裕も無く。ただただ、激痛に身悶えるしかなかった。 そんな時、慌てたようなノックの音と共に1人の教師が学園長室に入って来る。 「オールド・オスマン!大変です!」 「何じゃね、ミスタ…あーミスタ…「ミスタ・コルベールですわオールド・オスマン」おおう、すまんすまん。 ミスタ・コルベール、慌しい。もうちっと落ち着かんか。」 コルベールが学園長室に入室した時、オスマンとロングビルはそれぞれの仕事に就いていた。 「こ、これは申し訳ない。しかし、一大事なのです!」 「そういう風にしておっては全てが大事じゃ、まずは落ち着いて説明せい。」 「ではまずこれをご覧下さい。」 「これは…『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか、またぞろ古臭いものを持ち出して来おったのう。で?これがどうかしたのかの?」 「では次にこちらのスケッチをご覧下さい。」 いぶかしげな表情のオスマンに一枚のスケッチを差し出す。 「ミス・ロングビル。少々席を外しなさい。」 ミス・ロングビルが席を外した事を確認すると、オスマンは改めてコルベールに問う。 「ミスタ・コルベール、どういう事か説明してくれんかの。」 そうして大体ヒューとルイズがヴェストリの広場に着いた頃。 コルベールは前日に行った、使い魔召喚の儀式から始まる一連の流れを説明し終わった所だった。 「ふうむ、君はその“ヒュー・スペンサー”なる人物に刻まれたルーンが気になって調べてみた所。始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いたと…。」 「ええ、そうです。これは一大事ですぞ学院長!現代に蘇った『ガンダールヴ』!早速王宮に知らせて指示を「それには及ばん」は? な、何故ですか。」 「ルーンだけで決め付けるというのは早計というものじゃろう。」 「そ、それはそうですが…。」 「この件に関しては、一時ワシが預かる事にする。よいな、他言無用じゃぞ。」 「了解しました、オールド・オスマン」 そうして、ヒューに刻まれたルーンの一件に決着が付いた頃。執務室の扉からノックの音が響いた。 「誰じゃ」 オスマンの言葉に応えたのは先程、この部屋を出て行ったミス・ロングビルだった。 「私です、オールド・オスマン」 「ミス・ロングビルではないか、何事じゃ?」 「ヴェストリの広場で決闘騒ぎが起きています。 教師達が止めに入ろうとしているようですが生徒の数が多く止められない様です。」 ミス・ロングビルの報告にオスマンは苦虫を噛み潰した様な表情になる。 「全く、貴族の糞ガキ共が。暇を持て余した貴族程、度し難い生き物はおらんわい。 で、騒ぎを起こしておるのは誰じゃ。」 「1人はギーシュ・ド・グラモン」 「グラモンの所の馬鹿息子か、大方女絡みじゃな? で、もう1人は」 「ミス・ヴァリエールの使い魔の男性です。 いかがいたしましょう、教師達は“眠りの鐘”の使用を要請しておりますが」 「いや、ここは監視に留めておくように。 広場の様子はこちらで確認しておく、生死に関わるとワシが判断したら秘宝を使う事とする。」 「承知しました。」 そうしてミス・ロングビルの気配が離れていく、恐らく教師達に一連の報告をしに行ったのだろう。 オスマンとコルベールが顔を見合わせた後、部屋の隅にある大きな姿見に向かってオスマンが杖を振る。 するとどうであろう、そこにはヴェストリの広場の状況が映し出されたではないか。 「伝説が蘇ったか、それとも唯の偶然か見てみるとしようかの。」 前ページ次ページゴーストステップ・ゼロ
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ギーシュとの一件から、学院の生徒達のアズマに向ける視線が、ほんの僅かではあるが変化していた。 ドジで間抜けな平民では無く、得体の知れない使い魔だ、と誰かが言い出し、それが定着した。 当のアズマは、そんな評価など知ったことかとばかりに、ルイズの使い魔として、へらへらとした顔をしながら日々を過ごしている。 「わたしが馬鹿にされてる時は、誰に何か言う事もなかったのに、どうしてメイドの時はあんなつっかかったのよ」 決闘を終えた日の就寝前、どうしてもその事に納得がいかなかったルイズは、意を決してアズマに尋ねたのだが、彼から返って来た意外な言葉に、その目を丸くした。 「おまえは強いからな」 どこか羨ましそうに自分を見るアズマに、それ以上ルイズは言葉を続けることが出来なかった。 それから、お互い言葉を交わすことも無く床に就いたのだが、アズマはなかなか寝入る事が出来ず、自分の言った発言を反芻しながら静かに呟いた。 「……ほんと、俺なんかと違って、ルイズは強いよ」 たった数日暮らしただけの間柄だが、ルイズの誇り高さとその勤勉さを、嫌と言う程アズマは目の当たりにしていた。 だからこそ思う。このまま自分は、ドジで間抜けなふりを続けていいものかと。 こんな臆病で弱虫なままでは、結果として自分を呼び出したルイズまでも貶めるかもしれない。 「雹、か。とっくに忘れてたと思ったのにな」 決闘の際に用いた己の技を思い、ふっとその顔に笑みを浮かべながら言う。 ――雹。銃などの飛び道具に対して素手で勝つ為に、その練習相手として生み出された彼の一族ならではの技。 広場に赴く前に、食堂から拝借したフォークでその技を行ったのだが、名を捨てる以前より、その技の切れは遥かに増していた。 「よく分からんなぁ」 その一言で考える事を放棄し、アズマは藁の寝床に背をもたれかけ、そのまま目を瞑った。 平穏な日々を送っていたアズマに転機が訪れたのは、それからまた数日が経ってからの事だった。 巷で話題を呼ぶ、貴族相手に巨大なゴーレムを使って盗みを働く一人の盗賊、土くれのフーケの登場が、事の発端だ。 彼女によって盗み出されたのは、学院に伝わる秘宝、破壊の杖と呼ばれる物だった。 その翌日、急遽編成された追跡隊の中には、ルイズの名前があった。彼女の熱心な志願により、最初は渋っていた学院長のオスマン氏も、ついには熱意に押されて参加を許したのだ。 最も、追跡隊と言ってもアズマを含め、たったの五人。それも五人の内三人が学院の生徒と来ている。流石のアズマもこの事態には頭を抱えた。ろくでもない大人達がいたものだと。 紆余曲折を経て、追跡に参加する一人、ロングビルが突き止めたフーケの潜伏先で彼らを待ち受けていたのは、巨大ゴーレムによる襲撃だった。 同行していたキュルケ、タバサによる魔法攻撃も歯が立たず、撤退も止む無しと思われた時、ただ一人ルイズだけが敢然とゴーレムに立ち向かい、杖を振っては失敗魔法による爆発をお見舞いする。 「止めろ、ルイズ! こんなのに敵いっこねぇ!」 「うるさい! 弱虫! あんたはそうやっていつだってのらりくらり逃げてるけどね、こっちは貴族なのよ! 誇りがあるの! 敵に背を向けるって事は、自分の名前を捨てるのと一緒なのよ!」 ゴーレムを目の前にし、その足を震わせながらも毅然と言ってのけたルイズに、アズマは心の中に刃物を突き立てられた様な気がした。 逃げ続けても、得られる物などありはしない。名を忘れたふりをして逃げ続けても、きっと自分は救われない。自分はあの小さな少女の半分の勇気も持ってはいない。 ――――だけど、 「きゃあっ!」 「ルイズ!」 ゴーレムの拳がルイズを掠める。掠めただけとは言っても、あれ程巨大な拳だ、人の身体を吹き飛ばす事など造作もなかった。 まるで人形の様に吹き飛び、傷ついたルイズの身体をアズマは咄嗟に抱きとめた。 「いい加減……本当の力を見せてよ……」 ギーシュとの決闘の際、アズマが見せたその実力の片鱗に、どことなく気づいていたルイズは、彼の腕の中で力無く呟いた。 アズマの中で何かが弾けた気がした。 ――――今、思い出してしまった。 「ちょっとアズマ!? あんたまで何してんのよ!? 逃げないと!」 「早く」 風竜、シルフィードに乗ったタバサとキュルケが、アズマからルイズを受け取りながら、同じくシルフィードの背に乗れと言う。 だが、アズマはにっと笑ってこう返した。 「大丈夫だよ。あれは俺が倒すから」 ――――『陸奥』という名前を。 身構えた瞬間、左手の甲に光が灯り、アズマは身体全体がまるで羽毛の様に軽くなった感覚を得た。そして、同時に金剛の如き力が身の内から溢れ出して来るのを感じる。 アズマは、彼の名を表す字、雷の如き素早さでゴーレムの足元に潜り込み、その拳を当てた。 「…………ッ!」 本来ならばこんな巨大な物、破壊出来るわけが無い。だが、今の自分ならば…… 拳にありったけの力を篭めて、それを開放する。 「やっぱり無駄よ!」 ゴーレムに変化は無い。目障りな足元の虫を踏み潰すかの様に、その巨大な足を下ろそうとした瞬間。 ――ゴーレムは内側から瓦解する様に崩れ落ちた。 「……アズマ」 怪我によって気を失う寸前、ルイズはアズマの姿を見てふっと微笑んだ。 アズマはそのゴーレムの姿を確認し、突き出した拳を構えたまま呟く。 「……陸奥圓明流奥義、無空波」 彼が本当の意味で、その名を取り戻した瞬間であった。
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前ページゼロの白猫 「ご苦労じゃった。よく全員無事に『破壊の杖』を取り戻してきてくれた。しかし、ミス・ロングビルがフーケじゃったとはのう……」 ルイズ達は学院長室にて、今回の件の結果を報告していた。ルイズの足下にはレンも同伴している。 学院に着いた時には、フーケは魘される事はなくなっていた。しかし、それまでの間に全ての力を吸い取られたかのように、人形のようにぐったりとしていた。 フーケの連行は、男性教師共がこぞって申し出たが、結果は女性教師のみで行った。『レビテーション』を使うので、体格や力の有無は関係ない。 なのに何故男性の申し出が多かったのかは、ルイズは考えないことにした。決して、女性に猿轡をかませた上束縛している姿に欲情したからの筈はない。断じてない。 「いったいどのように採用されたのです?」 何故か学院長室にいるコルベールが訪ねる。彼は昨日から学院を離れており、先程戻ってきたところらしい。 院長室へ出向いてみると、彼がオスマンと話している最中だった、と言うわけである 一旦出直そうとしたのだが、何故かコルベールまで報告を聞くことになったのであった。単純にコルベールの事件への関心にオスマンが折れただけかも知れない。 「うむ、彼女と会ったのはとある酒場じゃった。彼女がわしの横を横切ったとき、この手が彼女の尻に悪さをしての」 ぺしっと自分の右手を叩きながら言うオスマン。部屋の中に居る人物の視線が冷たくなった。 「しかし全く怒らんもんじゃから、思わず鷲掴みにしてしまったのじゃ。それでもニコニコしとるんじゃもの。こいつ、わしに惚れとる! とティンと来たのじゃ」 オスマンはうんうんと頷いている。他の面子はじっと冷たい視線を向けるのみだった。 「おまけに魔法まで使えるというんじゃ。こりゃゲッチュせねば、と思うじゃろ?」 「同意を求められても困ります」 コルベールの答えはとてもすげなかった。 「クケーーーッ!!」 オスマンが吼えた。迫力はあったが威厳はなかった。 「思えばあれがフーケの手口じゃったのじゃろう。色仕掛けで相手に近づき、秘宝に近づく。じつにけしからん方法じゃが、まんまと乗せられたという訳じゃ」 もし、視線だけで人を殺せたなら、オスマンは三人と一匹の目力で串刺しにされていたことだろう。 そして、残りの一人はと言うと。 「ま、まあ、そうですな、美しさは罪とはよく言ったものです!」 「じゃろう!?」 あはははは、と乾いた笑いをオスマンへ返していた。その言葉で、こいつも同類か、と三人と一匹は断定したのだった。 ひとしきり笑った後、オスマンがオホンと咳払いをして、ルイズらへ向き直った。 「今回の働きを称えて、諸君らにはシュヴァリエの爵位申請をしておく。ミス・タバサは既にシュヴァリエを授与されておるから、精霊勲章の授与申請をしておこう」 ルイズたちの顔が輝いた。が、その後でルイズの顔が曇る。今回、自分はフーケの捕縛にほとんど役に立っていないのだ。一番働いたのは、彼女の使い魔のレンである。 使い魔の功績は主の功績。それが当然なのであるが、何だかルイズはすっきりしなかった。何かこの猫にあげられるものはないのか、と考えてレンをちらっと見てみると、レンも自分を見上げている。 その目を見て思い出した。あの破壊の杖のことをオスマンに聞かねばならないという事を。訪ねるならば今が絶好のチャンスだ。意を決してルイズはオスマンへ問いかけた。 「オールド・オスマン。お聴きしたい事がございます」 「なんじゃね?」 「その『破壊の杖』とは何なのですか? どう見ても杖には見えないのですが」 質問するルイズを、オスマンの鋭くなった瞳が見つめてくる。萎縮しそうになるルイズだが、彼女も此処で退くわけには行かないのだ。 ほんの数秒、オスマンとルイズは見つめ合っていたが、やがてオスマンの目尻が下がり、髭を撫でながら言った。 「そうじゃのう、これの為に骨を追ってくれた君たちになら話しても良いか。少々長い話になるが良いかね?」 異論などあろうはずもない。その場に居る全員が頷いた。それを確認してオスマンが語りだす。 「今から30年は前の話じゃ。わしは森の中を散策しておった。そこを運悪くワイバーンに襲われてのう」 ワイバーンとは、大きな翼を持ち、高い機動力で空を自在に飛び回り、鉤爪で相手を引き裂く、でかいトカゲのようなモンスターだ。ドラゴンのようにブレスは吐かないものの、凶暴で危険な相手である。 「最早ここまでか、と覚悟したところで、変わった御仁と出会ったんじゃ。その人が『破壊の杖』を向けると、ワイバーンが爆発したのじゃ。それでわしは九死に一生を得ることができた」 一同の顔に驚愕の念が浮かぶ。先程述べたように、ワイバーンはかなりの難敵だ。倒す、と言うだけならともかく、魔法の一撃だけで倒すとなると、相当上位のメイジでなければ不可能だ。 「ワイバーンを倒すと同時に、その人は倒れた。よく見るとその人はひどい怪我を負っておった。恩人を死なせてはならぬとわしも手を尽くしたのじゃが……」 「亡くなられたのですか」 ルイズの質問に、オスマンは目を伏せて頷いた。 「彼はずっと『元の世界に帰りたい』と言っておった。世界、と言う言葉の意味は分からなかったが、故郷へ戻りたがっていた事は理解できた。しかし情けないことに、彼の所属は全く持って掴めずじゃった。結局、亡骸はこのトリステインに葬ることにしたのじゃよ」 もしも、レンの話どおりに『月が一つしかない世界』が実在したとして、そんな異世界からやってきたのだとしたら、手がかりがつかめないというのは当然だろう。 「その人は2本の『破壊の杖』を持っておった。ワイバーンに使用した一本はその人と一緒の墓に入れ、もう一本は恩人の形見の品として宝物庫に保管したのじゃ。『破壊の杖』と名付けて、な」 学院に保管していたのは、『破壊の杖』の危険性を考えただけでなく、恩人の形見を自分の手元に置いておきたい、という意図もあったらしい。 「じゃが、あの杖はどんなにわしが振っても同じ魔法が出せなんだ。もしかすると、あの人だけが使える魔法だったのかもしれん。もう確かめようもないがの」 レンは『破壊の杖』の事を銃と言っていた。それが本当なら、あれはワイバーンをも一撃で倒す銃と言うことになる。その事実にルイズは戦慄した。 「さて、湿っぽい話は終わりじゃ。フーケは捕らえ、破壊の杖も戻ってきた。今宵の『フリッグの舞踏会』は予定通りとりおこなおう。今日の主役は諸君らじゃ。楽しんできてくれたまえ」 「そうでした! フーケの騒ぎですっかり忘れるところでした!」 キュルケが応える。年頃の貴族において、舞踏会というものに憧れない者はほとんど居まい。キュルケは微熱を燃え上がらせるチャンスだ、と張り切っている。 三人は一礼すると、今宵の舞踏会に向けて部屋から退室した。 「結局手がかりは無し、か。がっかりね、学院長まであの調子じゃ帰れるのは何時になるのやら」 ルイズの部屋で、人型になったレンがため息を付きながらが言う。 人の姿になったのはルイズがそう命じたためだ。ルイズが命じると、レンは嫌そうな顔――猫の時でも表情は有るものだ――また一瞬で猫から幼女になった。そして開口一番に出た言葉がこれである。 「それで、何の用? 私はご飯食べに行きたいんだけど」 「レン、あんた帰りの馬車で何してたの?」 「あら、何の話ですかマスター?」 不適に微笑んで返してくるレン。ルイズは声を荒げて追求する。 「眠ってるフーケに何かしたでしょ!? すっごく……う、魘されてたじゃない!」 喘いでいた、とはとてもいえない乙女なルイズ。もにょもにょと言葉を濁すルイズに、レンは妖しげな流し目を送る。 「……聞きたいですか?」 「だから言いなさいって言ってるじゃない!」 追求の手を緩めないルイズ。そんなルイズの姿にレンは一層笑みを深くする。だが、その笑いは、 「もう一度お聞きします、マスター。ホ ン ト ウ ニ オ シ リ ニ ナ リ タ イ デ ス カ ?」 にっこりと微笑んでいるレンの顔はとても綺麗なはずのに、ケタケタ笑うその口は、まるで悪魔のようにも感じられた。 「わ、分かったわよ、そんなに言いたくないなら聞かないで上げるわよ」 「お気遣い痛み入ります」 暖かい気温なのに、いつの間にか背筋を濡らす汗。それを極力意識しないようにして会話を切り上げる。 レンは相変わらず笑っているが、先ほどの禍々しい雰囲気は雲散霧消していた。 胸を撫で下ろすルイズだが、もちろんすっきりしない。これでは主人の威厳とか尊厳とかいうものが無いではないか。 そんなルイズを置いてけぼりに、レンが話を振ってくる。 「それじゃ、舞踏会楽しんでらっしゃい」 「あんたはどうするの?」 「ご飯食べて寝るわ。今日は疲れたし」 ぐーっと伸びをしながらレンは言った。 「疲れたのは私もよ……」 「舞踏会は御褒美に近いでしょ。せいぜい素敵なジェントルマンを射止めてきなさいな」 ひらひらとルイズへ手を振るレン。使い魔に見送られながら、ルイズは着替える為に会場へと向かった。 「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢の、おなーーーりーーー!!」 衛士がルイズの到着をホールに居る貴族たちへ告げる。 今回の主役であるルイズは、主役に相応しい格好に着替えていた。真っ白いパーティドレスに、ドレスとおそろいの色の長手袋。自慢のピンクブロンドの髪はバレッタでまとめてある。 肩と胸元が露出しており、そこが寂しくないように、赤いガーネットがあしらわれた首飾りを身に着けた。香水はフローラルのカーネーションを選んだ。 ガーネットは真実・忠実といった事を象徴する宝石。カーネーションの花言葉は『あらゆる試練に耐えた誠実』。どちらも、今回盗賊の事件を解決したルイズにはぴったりだろう。 何処に出ても恥ずかしくない万全の状態で、ルイズはホールへと入場した。 場内がどよめく。普段『ゼロ』と蔑んできたルイズが、見事なレディの姿になっていることに皆驚いたらしい。 男子生徒はこぞってルイズへとダンスの誘いをかけてきた。 キュルケとタバサはも既にホールにやってきていた。 キュルケの方は、黒い派手なパーティードレスに身を包んでいる。しかし、これまた際どい。胸元はおろか、浅黒い色の腹と臍まで見えているではないか。コルセットはどうした。 しかして、男どもの多くはそんなキュルケの野生的な色気に惹かれているらしい。ルイズと同じように多くの男性のダンスの誘いを受けている。 それはまあいい。良くないのは、どの男子もキュルケの顔ではなく剥き出しの谷間を見ている事だ。視線が下を向いていることに気付かない女など居ないぞ、自重しろ。 タバサも同じく黒のパーティードレス。しかしキュルケとは違って、殆ど素のままの簡易なドレスだ。飾りと言えば、胸にアクアマリンが少々付いている程度。 そして振る舞いもキュルケとは対照的で、ダンスの誘いなど全く受けず、テーブルにおかれた料理を食べることに専念している。 タバサが居るテーブルだけ、空の皿が積み上げられていた。恐ろしく苦いはしばみ草のサラダを食べ始めたとき、ルイズは自分の目を疑った。 いつまでも二人の様子を観察している暇はない。目の前の貴族達がこぞってダンスに誘ってきているのだ。 その中の一人の手を取り、ルイズは頭の中で練習していた言の葉を告いだ。 「私と踊っていただけますか、ジェントルマン」 手を取られた一人の男性は微笑み、ルイズをホールの中心へとエスコートする。そして、ルイズにとって初めての『フリッグの舞踏会』が始まったのだった。 数人の男子達と踊り終えた後、一休みするためにバルコニーへ出る。外の空気はホールの熱気に比べると冷えていて、胸に染み渡る。 何故だろう。 貴族の男連中からこぞってダンスの申し込みを受けているのに。オスマンは自分たちにシュヴァリエの爵位を与えると言ってくれたというのに。この場にいる者たち全員が自分を認めている、それなのに。たいして嬉しくない。 自分がゼロと蔑まれず、持て囃されているこの空間において、ルイズが一番大きく感じるのは、虚しさだった。 (……どうして) 男連中が自分の眼鏡にかなわないから? いや、確かに自分が知っている男性に比べれば、学院の生徒連中などお子様だが、それが原因ではない、気がする。 舞台が自分に物足りないから? それも違う。舞踏会のホールは申し分なく煌びやかで、楽士たちが流すメロディーはダンスの動きをより流麗に導いてくれる。 それでは、一体何が足りないというのか。 「……馬鹿みたい」 まるで無いものねだりをしている駄々っ子だ。自分の思考にルイズ自身が呆れる。 舞踏会のために照明がたくさん使われているためか、今日はいつもよりも星が見える量が少ない。それでも星は満天に輝き、天空から地上へと降り注いでいた。 空を眺めて星の光を追って地上へ目を向けると、星明りと学院の照明に照らされて、白い物が動いているのが見えた。 「レン……?」 ちらりとしか見えなかったが、間違いなく彼女の使い魔のレンだった。 時間からしてもう食事は終えたはずだ。なのに何故とことこと外を出歩いているのか。食事をしたらすぐ寝るといっていたのに? 「……」 気が付くと、自分でも何がしたいのか分からぬまま、ルイズはバルコニーから階下へと続く階段を下りていた。 外に出た時には、もうレンの姿は見当たらなかった。確か、中庭の方へ向かっていたはずだ。そちらへ向かって一人で歩いていく。 一体何をしているのだろう、とルイズは自問する。せっかくの舞踏会だというのに、途中で抜け出して自分の使い魔を追いかけるなんて。 中庭の入り口までたどり着いた時、ルイズは息を呑んだ。 「―――」 そこは、舞踏会場だった。 照らすのはきらきらと輝かしい照明ではなく、優しく穏やかな星明り。 音楽は風にそよぐ草の音、虫の声、そしてかすかに聞こえるホールからの旋律。 中庭の中心では、静かな調べにのって、レンが両腕を広げて、何かを祝福するようにくるくると回っていた。 お伽噺の中から抜け出た妖精のように優雅なステップを刻む。その様はまるで周りの自然が祝福しているようだった。 ようやく気が付いた。あのホールに足りなかったのは、たった一つ、しかし絶対に欠いてはならないもの。 主役だ。フーケ討伐において誰よりも活躍した立役者である、レンが居なかったのだ。 今この場には、彼女を照らす明かりがあり、彼女を導く音楽があり、彼女を見つめる観客がある。舞台は完全に整い、そこで主役が踊っている。ならばこの場が本当の舞踏会場ではないか―――。 ルイズが益体もない考えにふけっていると、曲が終わり、レンのステップも止まった。 「何してるのルイズ」 その声に、心臓が飛び出るほど驚いた。いつの間にかレンがルイズの方へ向き直っているのだ。まあ中庭入り口に隠れもせずに突っ立っているのだから見つかるのは当たり前だ。 「あ、あんたが食事の後はすぐ寝るとか言ってたのにうろうろしてるから見に来たんじゃない」 「舞踏会はどうしたのよ? 音楽が聞こえるし、まだ終わってないんでしょ?」 当然の疑問にルイズの受け答えが詰まる。素直に『あんたを見かけたから追いかけてきた』等とは言えない。 「禄な男性が居ないんだもの。抜けてきたわ」 「ふーん。中世と言えど本当の紳士というのは少ないのかしらね?」 あまり興味がなさそうに呟くレン。ルイズはそんなレンを見て、なんだか分からないけどちょっと腹が立ってきた。 「あんたこそこんなところで何してんのよ。誰かに見られたらどうする気?」 「ちょっと踊ってただけじゃない。誰かに見られるような失敗はしないわよ」 「私には見つかったじゃない」 「あら、使い魔の私がマスターの接近に気づかないとでも?」 減らず口の減らない使い魔である。だからこそ減らず口と言うのだろうが。 「……レン、あんた踊れるのね」 「淑女の嗜みというものですわ」 得意げに言うレン。ルイズは、顔が紅くならないように注意しながら、レンへ命令した。 「じゃあ、わ、私と踊りなさい」 ちょっとだけどもってしまったが、割と自然に言えたとルイズは思った。しかしレンは怪訝な顔。 「ルイズ、男性パートなんて踊れるの?」 「そんなわけないでしょ。男役はあんたよ」 「……自分より小さい同性の相手に男役を勤めろと?」 「ごちゃごちゃ言わないの! 私の使い魔ならそれくらいやって見せなさいよ!!」 理屈の合わない、我侭な命令だということはルイズ自身も理解している。だが、今ルイズはここを離れたくなかった。レンと離れたくなかった。ここで開かれている舞踏会に、どうしても参加してみたくなったのだ。 主の無茶苦茶な命令に、レンは髪を書き上げてため息をひとつ。 「全く、我侭っぷりはあいつといい勝負ね……」 そう言うと、レンはルイズの手をとって、お辞儀をしてきた。 「では、私と踊っていただけますか、マドモアゼル」 表情は相変わらず、格好に不相応な不適な笑顔。しかし礼節に則った、完璧なお誘いだった。 自分の使い魔のお誘いに、ルイズもにやりと微笑んだ。 「ええ、喜んで」 そして、二人だけの舞踏会が幕を開けた。 「あんた、男性役もうまいじゃない……」 ルイズは素直に驚いていた。レンのステップは軽やかで優雅だ。全くルイズの足を踏むようなこともなく、むしろこちらの動きを読んでいるように体全体をリードしてきて、すごく踊りやすい。社交会に慣れていない学生貴族とは雲泥の差だ。 微かに聞こえる旋律に乗って二人は踊る。次第に熱は高まっていき、ルイズの視界にはレンしか映らなくなる。 「人生経験の賜物というものですわ」 自分よりも見た目で5つ以上は離れていそうな幼女に人生を語られるのは、非常に複雑な気分だった。 「そういえば、あんた何歳なの? 見た目どおりの年齢じゃないんでしょ?」 「マスター、女性に年齢を聞くなど野暮ですわよ?」 そうレンが言うと、ルイズは行き成り落下した。 「ひゃ――!?」 瞬きの内に落下感は収まる。ぐるんと回った視界に写るのは、一面の星空と、レンの妖しい笑顔だった。 なんてことはない、要するに思いっきりレンがルイズの背中を仰け反らせたらしい。レンがしっかり支えていたので倒れることはなかったが。 「な、んてことすんのよこのバカ!?」 「ダンスの終焉ですのよ? 締めは派手な方が喜ばれますわ、ねえ?」 そういってレンは広場の入り口へ視線を転じた。どうじに、ぱちぱちぱちと拍手が帰ってくる。 ぎょっとしてルイズもレンの視線を追う。そこには、ドレス姿のままのキュルケとタバサがいた。 「まさか使い魔と二人だけの舞踏会をしてるなんて思わなかったわー」 拍手しながらキュルケが言ってきた。 「あんたたち!? どうしてこんな所にいるのよ!?」 「いや、いい加減男連中の相手も飽きてきてさー、気がついたらあなたがいないじゃない。気分転換に探しに来てあげたのよ」 「タバサは付き添い? 貴女も割りと付き合いが良いのね」 タバサはキュルケが引っ張ってきたのである。料理が乗せられたテーブルから彼女を引き剥がすのはなかなかの重労働だった。結局今は手に持った大皿いっぱいに盛られたはしばみ草のサラダをもくもくと食べている。 キュルケは体制を立て直している二人へ近寄ると、ルイズを強引に抱き寄せた。 「ちょ、ちょっと何よキュルケ!?」 「せっかくの舞踏会、今度は私と踊ってくださらない、ミス?」 「はぁ!? なんで私がツェルプストーの女と踊らなきゃ、ってあんた話し聞きなさいよー!?」 ルイズの言葉を聞き流してステップを踏む。先ほどのレンの踊りよりも激しく、より情熱的に。 キュルケは、レンに言われた『自分は何もできなかった』ということが、あれからずっと引っかかっていたのだ。 おかげでダンスの最中も上の空。あろうことかダンスパートナーの足を踏んづけてしまった。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーにあるまじき失態である。 調子が狂っている、と自覚して休憩していると、いつの間にかルイズが消えていた。 その時、思い浮かんだのはあの白い幼女と、護送中にあられもない声をあげていたフーケ。 (まさか……ルイズまで!?) 男性経験が豊富なキュルケ嬢。脳裏に生々しいイメージが浮かんだ。 両手は拘束具で固定され、衣服は無惨に引き裂かれている。体中に鬱血の痕があり、乳房の辺りは特に多く、なだらかだった胸は先端に引っ張られるように全体が膨れ上がっていた。 だらしなく開いた口から涎を垂らし、鳶色の瞳は人形のように光がない。両足が投げ出されている所為で隠すところは丸見えで、くぱぁと開いた桜色の火所からごぽりと溢れ、水溜まりになり、鼻を覆いたくなるほど強い臭気を発する白濁――。 激烈に嫌な予感に襲われたキュルケが学院を探した結果、すぐにルイズは見つかった。なんと使い魔と仲良く踊っていたというオチである。予感は大外れだった。 しかし、その光景を見て、キュルケの中で何かが燃え上がった。恋の微熱とは違う、しかし負けぬほどに熱い何か。それは単純に言うと、この使い魔への対抗心。複雑に言えば、嫉妬のようなものも混じっていたかも知れない。 そんなわけで、使い魔からルイズのダンスパートナーを奪っていたわけである。ルイズも渋々ながら、キュルケと共に踊っていた。 「なかなかダンスがお上手ね、ルイズ?」 「ヴァリエール家の娘としてこれ位当たり前よ。あんたはさっき、パートナーを踏んでたけどね。私の足は踏まないでよ」 気付かれていたのか。キュルケの笑みが少し引き攣る。 だが、言葉くらいで今のキュルケは止まらない。より一層ダンスの動きを激しく、熱くさせていく。飛び散る珠のような汗は、明かりを反射して宝石のように輝いていた。 (どうよ) ちらりとレンの様子を横目で伺ってみる。 その時、キュルケは自分が信じがたい物を眼にしたのだった。 「キュルケは何やってるのかしらね」 隣に来たルイズの使い魔が呟いているが、タバサにとってはどうでも良いことだ。舞踏会の事も、中庭に連れてこられたことにも興味はない。 今考えていることと言えば、会場に戻って料理を追加したいことくらいだ。そろそろ持ってきたはしばみ草が尽きそうなのである。 もしゃもしゃとはしばみ草を租借していると、レンがタバサへ話しかけてきた。 「せっかくだし、私と踊っていただけませんか、ミス・タバサ」 レンの誘いを無視するタバサ。どうでも良い。この使い魔の事にはもう興味はないし、踊ってやる義理も義務も無いのだから。 だが、続いたレンの言葉にはしばみ草を噛む口の動きが止まった。 「それとも、貴女も自分の使い魔と踊るの?」 思わずレンの顔を見てしまう。それがこの使い魔の思うつぼだったと気付くが、もう遅い。レンはニマニマと嫌らしい笑いを浮かべている。 「こう言うときは踊るものよ、さあ」 手を差し伸べてくるレンの意図は全く掴めない。一体自分を踊らせて何をしたいというのか。 しかし、もし自分の使い魔の秘密に気付いているのなら、放置しておくのはまずいかも知れない。仕方なく、タバサはレンの手を取るのだった。 「貴女は女性役で良いわ」 そう言うと、先程ルイズと踊ったときのように、優雅に踊り出すレン。 タバサはちょっと不思議な気分だった。自分は同年代の女性と比べると小柄だ。そんな自分よりも背が低く小柄な幼女がしっかりと自分を導き、リードしてくる。今まで味わったことがない感覚である。 「……何が望み」 ともあれ、この白い幼女が自分の使い魔の正体に気付いているなら、何らかの形で口を封じねばならない。 慎重に相手の動向を探ろうとするタバサに対して、レンは一言。 「別に何も。貴女一人だけ突っ立ってられても目障りだっただけよ」 そう言いながら、くるりとタバサをターンさせる。 「……シルフィードのことは」 「何のことか分からないわね。けど、私は相手の秘密を徒に広めるようなことはしないし、また広められるような立場でもないわよ」 そう言うと今度はレンがターン。男性役がターンするのは珍しいがこの場では咎める物は居ない。;y=ーでターンしようとしていたら止めるかも知れないが。 ふと、タバサは自分に向けられている視線を感じた。しかも複数。 一つはキュルケだ。レンと踊っている自分を見て、なにやら激しい視線を送ってきている。 もう一つは、この場からかなり離れた木の上から。どうしてそんなことが分かるのかと言えば、視線の主が彼女の使い魔だからだ。タバサと、タバサと踊っているレンをじーっとうらやましそうに見ているのが分かる。 これは後で二人ともあやさなねばならないだろう。タバサはため息を吐いた。 そして、曲が止まる。ダンスが終わると、すぐにキュルケはルイズから離れ、レンと踊っていたタバサを抱き寄せた。 「全く、ダンスパートナーにため息を吐かせるなんて駄目ねえ。タバサ、今度は私が踊ったげるわ」 キュルケはそういって、タバサの返事も待たずに踊りだす。その踊りの激しさは、何度も踊ってきたにもかかわらず、今日一番のものだった。 呆然としているルイズにレンが傍にやってくる。 「ご満足いただけましたか、マスター?」 そういって微笑むレン。頷きそうになるルイズだが、キュルケとタバサの踊りをみて気が変わった。何より、まだ音楽は続いている。舞踏会は終わっていない。 「なに言ってるのよ。私と踊りなさいって最初に言ったでしょ。あんた主人を壁の花にする気?」 「そうですか。私でよければ勤めさせていただきますわ」 慇懃無礼に一礼すると、レンは再度ルイズの手をとった。レンは3度目のダンスも男性役。優雅に踊る幼女がルイズのステップをより華麗にする。 「レン。私、しっかりあんたの世話もしてあげる。それから、もっともっと立派なメイジになるから」 じっとレンの紅い瞳を見て、告げる。 「だから、あんたもちゃんと私の使い魔の仕事を果たしなさいよ」 そう言われたレンは、にっこりと微笑んでルイズへ返した。 「向こうへの行き方の捜索も忘れないでね?」 くすくすと笑うレンにつられて、ルイズにも微笑みが漏れた。 笑いながら踊りは続く。この一晩はルイズのみならず、4人にとって大切な思い出となったのだった。 前ページゼロの白猫
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第六話 ~タバサ~ ギーシュが決闘するらしい。タバサにとってギーシュはどうでもいい存在だが、あのハオという男の雰囲気 はただものじゃなかった。 「あら、珍しいわね。タバサあなたも興味あるの?」 キュルケは以外そうに聞いてきたが、 「興味深い…」 「あんたってギーシュのこと好きなの?」 コン キュルケの問いに、タバサは杖でキュルケの頭を叩いた。 「違う…」 「じゃあ平民の方?」 キュルケは驚いたように聞いてきたが、 ゴン 「違う…」 先ほどよりも力をこめて叩いた。 キュルケは何かと恋愛の方に話を持っていく。やれやれ、なんて考えているうちに周りが盛り上がってきた。 決闘が始まり、ギーシュは三体のワルキューレを作り出した。トライアングルクラスの自分にとって、ドット クラスのギーシュが作ったゴーレムなど大した存在ではないが、平民相手には十分すぎる力を持っている。 だが…… 「1050…830…970…なんだよ…ちっちぇな…」 彼の言葉の後、ワルキューレたちが散りすら残らず燃え尽きた。 「なに今の!無詠唱であんな威力の魔法…まさか先住魔法!?」 周りの驚いた声は当然だった。まさか平民だと思っていたやつが詠唱もなく、魔法を使うとは思わないからだ。 そしてタバサは、ハオが腕に付けた長方形のものを操作しながら呟いた数字が気になった。 「紹介しよう…彼はスピリット・オブ・ファイア…火を司る神聖な僕の持霊だ…」 そういうとハオの後ろに突然人間の何倍もある巨大なものが現れた。これにはタバサも驚いた。さっきから ずっと注意深く観察していたのに、あの巨大な存在を全く気付くことができなかったからだ。 それにあれから発せられる威圧感に周りが静まり返った。 「ふざけるなぁ!!ワルキューレ!!」 ギーシュは簡単に挑発に乗り襲いかかったが、あの体格からは想像もできないようなスピードでワルキューレ達 を燃えカスにし、ギーシュの後ろに回り込んだ。あんなでたらめな強さを誇るものは聞いたことがなかった。 「ぐあぁぁーーー」 ギーシュはあの巨大な存在に上から押し付けられていた。 (あれは火を操り、超高速移動が可能な彼の使い魔?) タバサはあれの正体を完全に理解することはできなかった。 しかし…… (あのスピードにパワー…あの人の助けがあれば、もしかしたら復讐が可能かもしれない。) そう思ったタバサは、今度あのハオという男に接触しておこうと考えた。 あくまで接触は慎重にやらなければならない。これがバレれば自分は反逆者として復讐をする前に 捕まってしまう。だがそのリスクを負ってでも、味方にする価値があるとタバサは思った。 スピリット・オブ・ファイアの出現により静かになっていた周りが騒がしくなっていた。 どうやらギーシュの怪我の状態が酷いらしい。 素敵……、と隣から聞こえてきたが聞かなかったことにした。 ~ルイズ~ 「あれが…シャーマン…」 ルイズは昨日、契約をした時シャーマンや異世界から来た事など、ある程度は聞いていた。 それでもメイジにはかなわないと思っていた。今回の決闘もギーシュに負けることによって、メイジの 力を思い知らせ、あいつは私の使い魔であることを理解させようと思っていた。 そうすることにより、今よりもハオを素直にさせ、使い魔の仕事もさせられるようになるいい機会だと思った。 それなのにメイジの力を思い知らせるどころか、気づけばこちらが圧倒されていた… 所詮、平民がつけた力なんて大したことない…そう思っていたのにギーシュはボロボロにされてしまった。 (私が止めなかったら、ギーシュは死んでいたかもしれない) ハオは死人を出さないという契約があるので殺すつもりはなかったが、ルイズはハオの衛兵になる時の契約 を知らない。 (平民の使い魔のくせに生意気よ!!) 今度はどうやって従わせようかとルイズは試行錯誤しながら自室に戻って行った。 ~???~ 「まずいね…あの化け物、私のゴーレムでも勝てそうにないね」 忌々しげにつぶやいた。 (ここは諦めるか…いやそれでは学院長のセクハラに耐えてきた日々が無駄になってしまう。) 長い時間をかけて下調べをし、セクハラに耐えて狙った宝をみすみす諦めることはできなかった。 「あいつのことを調べておく必要があるみたいだね…」 そう呟き、ヴェストリの広場から離れていった。 これが全部筒抜けだとは知らず、ハオにどうやって接触するかを考えていた。 決闘が終わり、ハオが警備という名の散歩を始めると、ヴェストリの広場から少し離れたところでシエスタがやってきた。 「あの、ありがとうございます!」 会ってすぐにシエスタはハオに深々と頭を下げた。 「気にしないでいいよ・・・あれが仕事だからね・・・」 「あのっ、ハオさん!」 「・・・・何?」 「あの・・・ハオさんは本当に平民なのですか?メイジではないのですか?」 そうおずおずと尋ねるシエスタ 「ああ、僕はここで言うメイジって奴じゃない。僕は、シャーマン。」 シエスタはシャーマンと言う言葉を聞いて (しゃーまん・・・・って何でしょう?なんかの食べ物なんでしょうか?いや、それだとハオさんが食べ物だって言ってることになってしまいますし・・・。) うーん、うーんと手を組んで考え出したシエスタを尻目にハオは散歩を続ける。 散歩を再開してすぐ、ルイズがやってきた。 「街に買い物に行くわよ!」 「うん、いってらっしゃい!」 決闘騒ぎから数日後、ルイズは休日である虚無の曜日であることを利用し 街へ買い物へ行こうとしていた。ルイズはハオに武器を買い、恩を着せることで自分に忠実な使い魔になってもらおうと考えたのだが 「いってらっしゃいって!あんたも行くの!ついてきなさい!」 「なんでついていかねばならない、僕には関係ないだろう」 ご主人様らしい所を見せてやろうとしているのにこのこいつは・・・ッ! そう思いながら拳を握り締めルイズは続ける。
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門を抜けてしばらくしてから、リキエルは首をめぐらせ、魔法学院に目をやった。もう学院全体が豆粒ほどの大きさに見えるくらいだろうと思ったが、実際は敷地が目の端に収まってもいなかった。 学院の広さを少々甘く考えていたとリキエルは思い、そしてよくよく考えれば、学院を外側から眺めるのはこれが初めてなのだから、甘く考えたというのもおかしいかと思い直した。 ひとくさりそうして満足し、リキエルは首がおかしくなる前に顔を少し戻し、今度は流れていく景色に意識を向けた。 やや険しい道に、小楢のような落葉木が適当に間を空けて連なり、その上に高く昇った昼の日が光を落として、涼やかな木陰のあちこちに、まだらに漏れ日を作っている。そんな光景が一瞬のうちに左から右へと流れていくのが、体の浮き上がる感覚とあいまって気持ちよかった。 以前一度だけ、リキエルは何を思ったか、愛車のビモータでハイウェイを突っ走ってみたことがある。そのときは事故やスリップに気を使うあまり、爽快さも景色も楽しめず、とても快適とは言えないツーリングになってしまった。 それに比べて、速さこそ格段に劣るものの、馬の背で感じる風は清々しかった。乗り心地の良し悪しは別にして、気分が浮き立つのである。体が風になったようとは体感ではなく、こういう気分を指して言うのだろうなとリキエルは思った。 正面に向き直ると、川原毛の馬が馬身ひとつ先を走っている。たくみに馬を操っているのはルイズだった。あるいは貴族としての教養の内であるのかもしれないが、リキエルの正直な感想は、ルイズの意外な特技を知ったというものだった。 リキエルは馬に触れた経験が数えるほどしかなく、乗馬も今日が筆下ろしである。そんなリキエルの素人目にも、ルイズの腕は確かだと見受けられた。学院の厩で馬を選ぶときも、一頭一頭をよく見てから鞍をかけ、その様も堂に入っていた。 リキエルの乗っている馬もルイズの選定だった。そしてその葦毛の若駒は、一見して力ない痩せ馬で、馬体もさほど大きくはなったが、実は強い脚力と溢れ出るほどの体力を持っており、荒く響く馬蹄の割に軽々と身を躍らせるのである。その上不慣れなリキエルを乗せて走りながらも、きちんとルイズの川原毛に追随する利口さも持っている。上馬であった。 ちなみにルイズの川原毛は、学院では跳ね馬として有名だった。力強い走りをするものの、脚が乗ってくると高く跳ね上がる癖があり、それで持て余す者が多かったのだ。だが今は、ルイズが御しているからかその悪癖も鳴りを潜めているようである。 二頭の馬は、これから城下町へ行くところだった。それというのも今朝の食事のあと、部屋に戻ってくるなりルイズがそう言い出したのである。 予定や約束事などがあるわけもなく、そも一応は主人の言いつけであったから、当然リキエルに否やは無かった。ただ急な話でもあったので、何のために出かけるのかくらいは聞いておこうと思った。 「何をするって? 町に行く?」 言いながら、リキエルはふわと兆したあくびを噛んだ。 ぞんざいな口利きと態度だが、ルイズはそれをとがめなかった。初めの頃こそ、ご主人様をなめた態度なぞ許せるかと息巻いていたルイズも、最近では注意するのも面倒と見えて、リキエルがこういう態度をとることを半ば免じている。あるいは、何度とない注意をことごとく無視されて、馬鹿らしくなったのかもしれなかった。 「買い物にでも行くのか」 「そうよ。昼食のあとには出発するからね」 うなるようにそう答えたあとは、ルイズは何を買うとも言わなかった。必要なことだけ伝えれば、もう話すことはないという感じだった。ルイズは無口ではなく、ときには雨あられのように言葉を投げてきたりもするが、いざ喋らないとなると、閉じた貝が意地になったようにとことんまで喋らないところがある。 釈然としないながらも、リキエルはそれ以上聞かなかった。さして興味がわかなかったというのもある。買い物をするなら自分は荷物持ちといったところだなと、独り合点でケリをつけた。 昼までは何もすることがないので、リキエルはいつも窓拭きに使う雑巾の毛玉取りや、箒にしぶとく引っ付いた埃を取り除いたりといった、益体も無いことに熱中した。それに飽きると、机に向かって分厚い本を睨んでいるルイズを眺めたりした。 ルイズは勉強の最中妙にぴりぴりしていて、それは話しかけるのがはばかられるほどだった。普段からの授業態度といい、魔法を使えないことをのぞけば、ルイズがずいぶんと優等な学生であることは、こういったところによく表れている。あるいは近々試験でもあるのかもしれない。 それには思い当たるところもあって、昨晩ほど遅くなることはないが、ルイズはここ数日の間、放課後から夜まで部屋に居ないことが多いのである。図書館かどこか静かな場所に行って、一人で根をつめているのだろうとリキエルは考えている。 怠惰にしているうちに日は高くなった。いつもより少し早い昼食のあと、ちょこちょこと準備をしてから、ルイズとリキエルは厩まで行き、馬を決めると早速に学院を出た。昨晩あった雲は夜明け前には散っていて、絵に描きたいような快晴だった。 今日は虚無の曜日だとかで、リキエルの世界でいう日曜日のような休日らしかった。日ごろから大した疲れは無いものの、休日ということで気分的にのんびりと過ごしたかったリキエルは、買い物に行くと言われて少しだけ面倒に感じていたが、初めて行く城下町というものに対する期待の気持ちも、多少はあった。 ただ、それは気分が高揚するような感覚ではなく、町の人ごみの中で落ち着いたままでいられればいいんだがな、という意味での期待だった。少なくとも楽しみだとか好奇心とかいったものとは、まるで結びつかない感覚である。 しかし学院を出てしばらくすると、なんだかんだと言っても気分がよくなってきて、首をぐるぐるやったりするようになっていたのだった。 ――今は俺を止めてくれるな、こんなに楽しんでいるのだから。 特に好きでもない曲を頭の中だけで流してみる。こんなことまでするようになると、いよいよもって浮ついているという気がリキエルにはしてくる。陽気というのではないが、とにかく気持ちが高ぶっていた。 ただ単純に高ぶるだけというのも奇妙な話だったが、まあそういうこともあるかと、リキエルは楽観した。 ◆ ◆ ◆ もうそろそろ起きようか、とキュルケは半ば眠ったままの頭で考えて、五回ほど寝返りをうってから眼を開いた。半身を起こして軽く伸びをすると、眠気もいくらか抜けていったが、まだベッドを下りる気にはならなかった。 ぼんやりと夢とうつつを行ったり来たりするうちに、キュルケは頬に風が当たるのに気がついた。部屋の窓が開け放されたままになっている。 ――あら? 化粧を落とした後は、そのまま窓も閉めずに寝てしまったかと記憶を探ると、昨夜のできごとが次第に思い起こされていった。それに連れて、キュルケの顔には鋭気が広がっていく。頭の中に浮かぶのは恋の一字だけだった。 その恋の向かう先は、言うまでも無くリキエルだった。昨晩のリキエルの態度はにべもないものだったが、そこは微熱とは情熱と称するキュルケである。生を受けたツェルプストーの家からして、『恋の情熱はすべてのルールに優先する』などという、あんまりといえばあんまりな家訓があるくらいでで、一度袖にされた程度で消沈するような、ぬるい恋なら初めからしないのが信条だった。 どころか、ああ露骨に逃げられたのでは嫌でも追いすがりたくなると、キュルケの情熱にはますます薪がくべられていくようでさえある。そこにはいくらかの、恋の狩人としてのプライドも含まれているようだった。 もう一度、磊落な性格に見合った豪放なあくびをひとつして睡魔をたたき伏せると、キュルケは跳ねるようにベッドから下りて、大ぶりな鏡台で化粧を始めた。この鏡台はキュルケが実家から持ち出したもので、もとはお蔵になっていた品である。 とはいっても、引き出しなどの細工はいちいち手が込んでおり、鏡の縁取りも、埋め込まれた銀と瑪瑙が鮮やかだった。また強い『固定化』がかけられており、鏡面を磨く手間もかからないのでキュルケはなかなか気に入っている。 ――そういえば……。 これだけは人さまの物だったわね。リップブラシで薄く口紅を引きながら、キュルケは思った。 もっとも、ツェルプストーの家を出るときは家具以外にも、手当たり次第かっぱらえるだけかっぱらって来ていたから、特別な感慨があるわけでもない。そもそも一年以上も前の話で、今さらなことなのだ。ただ時間に余裕があれば、ほかにも良い品物を持ち出せたかもしれないと、いささか未練に思うくらいである。 目を細めて、キュルケは軽く嘆息した。その頃のできごとは明確に思い出せるが、そうするといまだに少し頭が痛くなってくる。苦い記憶だった。 名目上、キュルケはトリステインへの留学生だが、実情は少しく違う。一年半ほど前のことだが、キュルケは生家のあるゲルマニアの魔法学校を退学になっていた。 原因はキュルケの言う『情熱』とそこから来る奔放さにあって、勝手気まま、思いに任せた行動を続けたことで問題が起き、それが退学処分に繋がったのである。より正確には、ツェルプストー側の退学届けと、学校側の処分告知が交わされた結果の退学だった。 また、ことはそれでは収まりがきかず、キュルケはその落ち着きのなさを危ぶんだ両親によって、どこそこのなにがしとかいう顔も知らない老いた侯爵の家に押し込められそうになった。 それを嫌ったキュルケは、留学という形でトリステインに逃げ込んだ。無理に縁談を破り、顔に泥を塗った上で喧嘩別れの形になった両親とは、一ヶ月あまりの不和が続いた。 ――まあ一番に痛むのは、そんなところじゃないのだけど。 口紅を塗り終えると、あとはさっと目元をいじって化粧を終えた。あまり印象に残らない程度の、全体的にさっぱりとした仕上がりになった。それから制服に着替え、手櫛で髪をすいて部屋を出る。五歩も歩けば想い人に会えるのだから、ある意味安上がりなものである。 ルイズの部屋の前まで来て、キュルケは少し思案する顔になった。 昨日は少々強引な手で以ってリキエルに向かっていって、失敗した。それなら次はからめ手で行こうとキュルケは考えているが、その前に、もう一度正面から攻めておくのも悪くないとも思っていた。 それでいきなり上手くいくわけはないが、改めてこちらの意気を示しておく意味では効果があるかも知れず、何より部屋に居るだろうルイズが顔を赤くして、憤然とつっかかってくる様が目に浮かんで、その気味のよさといったら無かった。学院に入って以来、ルイズをからかうことはキュルケの日課のひとつになっている。 どうせなら、いきなり入って驚かせてみようかなどとキュルケは思い、校内では厳禁とされている『アンロック』の呪文で部屋の鍵を開けた。そのまま間を空けずに踏み入ったが、部屋にはリキエルの影も、ルイズの形もなかった。 完全に肩を透かされて、キュルケは残念に思うより前に鼻白む顔になる。 「相変わらず、色気のない部屋ね……」 悔し紛れでもないだろうが、どことなく不服気にひとりごちながら、キュルケは気だるげな視線を部屋の上下四隅に伝わせた。そうして、ルイズの鞄がないのに気がついた。 休日というのに鞄がないところを見ると、ルイズはどこかへ出かけたか、がりがりと勉学に精を出しに行ったものと思われた。もし街まで出たのなら戻るのは夕方になるし、従者としてリキエルも連れ立って行っただろうから、いよいよ興がそがれる気分である。 部屋に戻って二度寝してしまおうかと考えながら、キュルケはやおら窓の外に目を向けた。その目に、ちょうど門から出ていくリキエルとルイズがとまった。 気の萎えかけていたキュルケだったが、またその眼に力がこもった。憮然とした顔はにんまりとした笑顔になった。やはりそれと見せられてしまうと、恋の狩人の本能とでもいうべきものがうずくようである。 ルイズの部屋を出るとキュルケは、自室には戻らず寮の階段を上がった。 キュルケは学院を出て行った二人のあとを追い、そのまま追い越し、行く先で待ち伏せようと思っている。リキエルに会うのはもちろん、今はそのついでに、二人を驚かさずには気がおさまらないという意地も張ってきていた。 とはいえあちらは馬である。これから同じように馬を走らせたのでは、追い越しはおろか追いつくのにも無理があろうというものだった。それにルイズは乗馬がうまい。この学院の馬はそう上等とも言えないが、ルイズならばその中からでもいい馬を引っ張っていけるだろう。 馬などよりよほど速い足が要るのだ。キュルケにはその心当たりがあった。しかもこの広い世の中でもそう並ぶものの無い、間違いなく最上の部類の足である。 五階まで一息に駆け上がったキュルケは、突進する勢いで目的の部屋まで来て、ドアを叩こうと腕を振り上げた。しかし、はじめからどかどかとやるのもどうかと思い直して、いくらか抑えてドアをノックした。 返事は無かった。もう一度、こんどは少し強めにノックしてみたが、やはり返事は無い。思い切ってドアを叩いてみても、まるで駄目である。キュルケは直ぐに痺れをきらしてドアを殴りつけるようにしたが、手が痛くなるまでそうしても、部屋の中からは、人が動く気配すらうかがえなかった。 普通ここまでやれば、いまは部屋に居ないのだろうくらいには思ってもよさそうなものだが、キュルケはしつこかった。というよりも、目当ての人間が中にいると信じて疑っていなかった。 先だってそうしたように『アンロック』で鍵を開けると、キュルケはまた何食わぬ顔して部屋に押し入った。 思ったとおり部屋にはちゃんと主が居て、子供のように小さな体をさらに小さく、丸めるようにしてベッドに腰掛け――これも思っていたとおり――、やたら分厚い本を読んでいる最中だった。 その娘は部屋に他人が上がりこんだというのに、そちらには一瞥もくれようとはせず、読書の姿勢を崩さなかった。本のページをくる指の動きを別にすれば、動きらしい動きといえばせいぜいが眼鏡をかけなおす仕草だけで、いっそ置物のようだった。 キュルケは親愛の情を込めて娘を呼ばわったが、声は口から出ていかなかった。どうやら『サイレント』の魔法で、部屋はいっさいの音が遮断されているらしかった。自分に気づいていないわけはないから、読書を妨げられないようあえて呪文を解かず、しかもこちらを無視しているのだろう。 この子らしい、などとキュルケは微笑ましいような気持ちになるが、そうかと言って話を聞いてもらわないわけにもいかない。ずかずかと近づいて、その手から本をもぎ取った。 じろりと、眼鏡のレンズ越しに青い瞳が見つめあげてきた。一見して無表情なままだが、そのまなざしにははっきりと不機嫌な色が見て取れた。キュルケはそれとわかりながら、本をいっそう高い位置に持っていった。 そんな状態でしばらくの膠着があったが、先に折れたのは向こうだった。娘は仕方が無いとばかりに目をすがめると、傍らに立てかけてあった、大人の身の丈ほどもありそうな杖を振るった。『サイレント』の呪文を解いたようである。 「おはよう、タバサ」 あらためてキュルケは言った。 「…………」 およそ感情の動きにとぼしい顔を、タバサはほんの少しだけ、顎を引くようにして傾けた。挨拶を返したのである。余人が見れば何のまねと思うかもわからないが、キュルケにはそれだけで十分だった。この二人は、無類飛び切りの親友という間柄である。 タバサはキュルケやルイズと同級で、大国ガリア出身の留学生である。『風』と『水』系統の魔法を得手とするメイジで、そこから二つ名は『雪風』といった。 「虚無の曜日」 小さく口を開いて、タバサが言った。 低くぼそりとした声だったが、やはり言外の不機嫌は明らかなものがあった。タバサにとって授業もなにもない虚無の曜日は、ゆるりと読書を楽しめる日で、たとえ教師や親友が相手でも邪魔はされたくない曜日だった。 「わかってるわ、タバサ。あなたにとっての虚無の曜日がどういうものかっていうのはね。それを承知で来たの」 キュルケは神妙な顔で言ったが、次の瞬間にはもう元気になって、 「お願いがあるのよ! あたしね、恋したの! 恋よ!? 恋! しかもあのヴァリエールったら見せ付けてくれちゃって……とまれるわけがないじゃないの! あの二人ったら馬でどこか行ってしまったのよ!? それをあたしは追いかけなくちゃならない! あなたの使い魔じゃないと追いつかないわ、お願いっていうのはそれなのタバサ!」 と早口でまくしたてた。そこに大仰な身振り手振りが加わって、手に持った本もぶんぶんと振り回される。 「……」 その本はタバサの自前ではなく、学院の図書館で借りたものだった。タバサにしてみれば、周りが見えなくなっている親友の手から、いつ本がすっぽ抜けていってしまうかと気が気でない。もし傷でもつけて、今後の貸し出しを禁止にでもされてはことだった。 タバサの心配をよそに、キュルケは今抱いている恋の熱さと深さとを語り続け、身振りをいっそう大きなものにしていく。 ――実はそうやって……。 自分を脅しているのじゃないか。タバサはそう思った。自分がいかに本を大切にしているか知らないわけはないのに、いまのキュルケは恋に目を奪われているにしても不注意が過ぎた。 タバサはそれを、わざと軽率な動きをして、自分の気を揉ませる魂胆と見た。考えすぎかもしれないが、それでも猜疑が頭をもたげてしまうのは親友ゆえである。キュルケが強引であるのは昨日とか一昨日とかに始まったことではないし、手段を選ばずに我をとおす部分があることも、タバサは承知していた。 ただ、わざとにしても万一ということはあるから、うっちゃっておくにも安心はできない。やはりいまは、キュルケの頼みとやらをさっさと聞いてしまうのがいいかもしれない。それが平安な時間と本を奪い返す最良の策なのだ。タバサはそう思うことにした。 ――なにより……。 数少ない親友の頼みだ、むげに断るも忍びない。タバサの本音のだいたいは、実はここだった。 タバサはしゃべりつづけるキュルケを無視して、部屋の窓を開けてすっと息を吸った。そして長めの口笛を吹いた。吹き終わりと同時にふわりとした春の風が舞い込んできて、タバサの、瞳とそろいの青い髪を揺らした。 顔にかかった髪を、犬のように頭を振ってはらうと、タバサは窓枠に足をかけて外に飛び出した。 恋の演説に夢中になっていたキュルケはそれに気づくと、慌てて後に続いた。 窓の外では、ドラゴンがせわしなく翼を動かして待機していた。 これがタバサの使い魔で、名は古い風の妖精にちなんでシルフィードという。青い体色がなんとなく主人との近似を思わせる、雌のウィンドドラゴンである。シルフィードは人の身の丈の4、5倍はあろうかという大きさだが、まだ幼生だった。人でいえば十かそこらだろうか、ちょうど甘えたい盛りといえた。竜は、時をかければ際限なく大きくなる生き物である。 「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」 などと言うキュルケを横目にして、タバサは短く「馬二頭。食べちゃだめ」と使い魔に命令した。 ◆ ◆ ◆ 学院を出て三時間ばかりしたか、城下町についたルイズたちだったが、駅に馬をつないだ後、しばらくそこで往生することになった。リキエルが動けなくなったのである。 「情けないわね、腰を痛めて動けなくなるなんて」 「悪かったな。初めてだったもんでよォ、乗馬なんてものは」 さも呆れたというようなルイズに、リキエルは少しばかりの反抗を起こしたが、声にはまるで威勢が乗っていなかった。地べたに座り込んで、そのうえ顔も若干青ざめているリキエルは、通りがかる人々からは病人を見る目で見られている。 リキエルはルイズに、馬に揺られて腰を痛めたから休ませてくれと言っていたが、そこにはいくらかの嘘が入っている。腰が痛いのも本当ではあったが、それの数段増しの痛みにリキエルは苛まれている。 それはいわゆる、男にしかわからない場所の言いようのない鈍痛というやつだった。馬に乗っている間に、二度といわず三度といわず鞍にうちつけてしまったのである。ついでに、さっき馬を降りる段にもう一度したたかにうちつけていて、それでいま動けなくなっていたのだ。 もういいかなと思って動こうとすると、痛みがぶり返して下腹に染み出すように広がり、変な汗が額ににじむ。痛みのせいで立ち上がれないというより、立ち上がる気になれなくなる。そんな痛みがそこにはあった。情けないと言われるのもわかるが、こればっかりはしょうがない。 「馬に乗ったことがないの? はあ、これだから平民は……」 こんどは、リキエルはなにも言い返さなかった。ただ密かにふてくされた。 ――バイクならなァ~、こんなことにはならなかったろうによォ。そういやどうしたんだったかな、オレのHB-2は。どこにやったんだっけ? 一緒にこっち来てたはずだよな。あ、でも事故ったら元も子もないのか、くそっ。 「そんなにひどいの?」 「うん?」 胸のうちで毒づいた、そのついでのようなうめき声が聞こえてしまったものか、不意にルイズが声をかけてきた。 「ぁいや……大丈夫だ」 やけに心配げな声だったものだから、リキエルはついそう答えてしまった。痛みはちょうど峠にさしかかって、腸にこぶし大の石を詰められたような心地に辟易していたところなのだが、こうなっては意地でも立ち上がるしかない。 口を真一文字に引き結んで、リキエルは腰を上げた。 「そ、じゃあ行くわよ」 リキエルが立ち上がると、ルイズはにべもなく言ってすたすたと歩き出した。 今さっき垣間見えた、ほんの一瞬の甲斐甲斐しさも疑わしくなるような態度に、リキエルは少しばかり困惑した。そんなわけもないのに、騙された心地さえする。年頃の女の子ってやつはよくわからねー。 「まあ、いいや」 「なにか言った?」 「なんでもない。……そういえば、なにを買うんだった?」 買い物の目的を聞いていないのをふと思い出して、リキエルは話をふった。痛みのまぎらわしにもちょうどいい。 「言わなかったかしら」 「聞いてないぜ。買い物に行くとしかなァー」 そういえばそうだった、というように首肯すると、ルイズはごく簡単に言った。 「剣よ」 「剣? そりゃあまたどうして」 「あんたのためでしょうが」 「そんな物騒なもの……」 オレはいらないぜ、と言いかけたところで、リキエルは昨晩の騒動を思い出した。キュルケに想いをよせられている自分は、それと知られれば、彼女に想いをよせている男連中の目の敵にされるかもしれないのだ。 そうなれば、ギーシュとの決闘どころの被害ではすまないだろう。昨夜争っていた五人のメイジだけとって考えても、魔法の威力がギーシュとは段違いだった。あんな奴らに挑まれてはひとたまりもない。剣のありやなしやで、少しはそんな心もとなさも薄れるかもしれなかった。 「だがよォ~」 ルイズの言わんとするところはわかったが、必要不必要の前にリキエルは剣を扱えない。買い与えられたところで宝の持ち腐れという感じがした。 扱えたところで、何もできやしないだろうことも自分でよくわかっている、とリキエルは思った。たとえば銃を握っていたとしても、肝心のところではパニックになって、手のひらには汗をかいて、最後は取り落としてしまうだろう。 そんなふうに言うと、ルイズは胡乱げな目で仰いできた。 「嘘おっしゃい。あんた剣士でしょ?」 「…………」 リキエルは棒立ちになった。意図せず顔がしかんでいく。思いもよらないことを言われ、どう反応したものかわからなかった。自分を剣士などとは、いったいなにをどう削ってどう砕いてどうひねって、どうこね回して搾り出したらそう見えるのだろうか。 前に向き直っていたルイズは、立ち止まったリキエルに気づかずそのまま歩いていく。まばたきをひとつふたつする間に、けっこうな差が開いてしまっていた。われに返って、リキエルは大またで歩き出した。すぐにルイズとの距離が縮まった。 リキエルはようやく聞き返した。 「ええと、すまないがもう一度言ってくれるか。聞き間違いかもしれないが、なんだかすごく奇妙なことを言われた気がするぜ。オレがなんだって?」 「あんた剣士なんでしょってば。三度目は言わせないでよ」 「剣士ィ~? 自虐でもないが、オレは果物ナイフ程度もろくに扱えない人間だぞ」 「言い方が自虐っぽいわよ。……でも、じゃあこの前の決闘はなんだったの? あんなに華麗にゴーレムを捌いてみせたじゃないの」 「ありゃあ、まぐれだ」 「でも、なにかの心得くらいはあるんでしょ?」 ルイズは食い下がった。 当の本人にはとんと自覚がないが、リキエルとギーシュの決闘は、目にした人間に一様に大きな衝撃を与えている。特にリキエルの戦いぶりは、剣を握るのが平民であるという事実以上に、その技量の高さが驚きをさそって、そういう大立ち回りを好む男子などの間では、いまだに話の種にその決闘が持ち出されている。 ふだん血なまぐさいことに興味の無い女生徒などでも、そのとき抱いた関心は小さくないようだった。ルイズがその手合いの一人である。 後編へ続く
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漆黒のキャンバスに、赤の月が満ち、もう一方の月の色を侵食する夜。 闇色と朱色に彩られた庭園を、一人の幼い少女が駆けていた。 ―――はぁ……はぁ……はぁ…… 少女は、逃げていた。 嘲笑、蔑み、劣等感。 ありとあらゆる不の感情から逃げていた少女は、やがて一艘の船に辿り着いた。 ―――はぁ……はぁ、はあ…… 短く呼吸を正し、船に乗り予め用意されていた毛布に包まった少女は、みっともなく泣き腫らしている。 「―――無様ね」 少女しか居ないはずの船の上に声が響く。 苛立ったようなその声は、思い出したくも無い過去の失敗を穿り返された人間のそれに似ている。 誰にも見つからぬよう、声を押し殺し泣く少女だったが、不意にその顔が笑顔へと変化した。 頬を紅く染め上げ、はにかみながら笑う少女の視線の先には羽根つき帽子を目深に被った一人の男性が立っていた。 「子爵……様」 少女がその男性を知っているように、声の主もその男性を知っていた。 幼き恋心の対象。 そして、父と男性によって交わされている約束。 男性に手を引かれ、恥ずかしそうに船から降りた少女は庭園を後にする。 自分達を見つめている者の視線にまったく気がつかずに…… それもそのはず。 今、此処に展開されているのは、一人の少女の『記憶』 普段は日常に埋もれ、決して掘り起こされない、過去の事象。 それが、夢と言う幻燈機械に掛けられ、ただ一人の為に上映されているのだ。 観客はただ一人。 主役であり、脇役であり、脚本家であり、監督でもある存在。 その存在は、自らの過去である少女に侮蔑と決別の溜め息を吐きだして、幻燈機械を停止した。 「夢……か」 まどろみと陽射しに包まれ、何処と無く朦朧とした視線を漂わせる。 視界にあるのは、木々が生え、涼しげな池が存在する庭園では無く、一年間住み続けている自分の部屋であった。 「ホゥ、今日ハ、ヤケニ早イ目覚メダナ」 「存外に失礼ね、あんた」 椅子に座って、一枚のDISCを手で弄んでいるホワイトスネイクの軽口を適当に返事を返しながら、着替えをするルイズ。 性別不詳のホワイトスネイクを前にして裸になる事に、微塵の羞恥心すら無い事が、そこから窺い知れる。 手早く着替えを終えたルイズは、飽きずDISCを弄りとおしているホワイトスネイクに声を掛けて、さっさと食堂へと出かけていった。 食堂で、やたらと豪勢な朝食を食べたルイズは、その足で今日の授業が行われる教室へと向かう。 確か、今日の授業は、ミスタ・ギトーが講師を務めるはずだと思い出すと、朝からあまり良くは無かった機嫌が、一段と悪くなるのが分かった。 ミスタ・ギトーは『風』が最強と言う持論を生徒達にも強要する先生であり、その冷たい論調と傲慢な態度に嫌っている生徒も少なくない。 と言うより、ギトーを好きな奴を探すとなるとこの学院を、それこそ掘り返しても探さないと発見できないぐらいに嫌われている。 ルイズも、その例に漏れず、ギトーの事を嫌っている生徒の一人だ。 別に、何が最強と思うのは個人の勝手だ。 しかし、その考えを無理矢理他人に強要するところが、ルイズは好きにはなれなかったのである。 「あら、今日は早いのね。ルイズ」 「ちょっとね……そういう貴方も早いのね」 挨拶をしながら欠伸をするキュルケに、ルイズはそう聞き返すと、女の嗜みよ、となんだか良く分からない返答が帰ってきた。 ともあれ、教室の隣同士の席に座って話をしていると、暫くしてタバサも教室に現れ、キュルケに誘われ、同じ机に席を置いた。 女三人寄れば姦しいとは言ったもので、普段お喋りなキュルケはともかくとして、人並みに話すルイズと、普段まったく会話をしないタバサも、ぺちゃくちゃとお喋りに花を咲かせていた。 そうこうしている内に、授業の始業時間となり、ミスタ・ギトーが髪色と同じ真っ黒なローブを揺らしながら教室の扉を開け、教壇に立った。 「では授業を始める」 何の面白みも無く、淡々とした言葉遣いで始まりの挨拶をしたギトーに、生徒の大半は心の中で溜め息を吐いた。 学生と言う身分は勉強しなければならないと言う事は分かっているが、どうしてもそこに娯楽性を求めてしまうものである。 他の授業―――例えば、火の魔法の授業であるコルベールなどは、時々変な発明を授業で発表したりするが、 あれはあれで、そこそこ受けが良い。無論、外す時もあるが。 ともあれ、この授業は、娯楽性と言う点で言えば最低ランクのさらに下のランク外であり、生徒達はこの苦痛な時間が早く過ぎる事を祈っていた。 この時までは――― 「骨が燃え残るか心配なんですけど、私」 「何、心配には及ばない。君の炎は私のマントの切れ端すら燃やせないだろうからな」 睨みあうキュルケとギトー。 お互いに杖を引き抜き、すでに臨戦態勢だ。 こうなった理由は簡単である。 炎が最強であると言ったキュルケに、ギトーが、ならば君の力で証明してみせろとキュルケを挑発したのだ。 始めは乗り気で無かったが、家の事を引き合いに出されると彼女としても本気を出すしかない。 魔力で編まれた焔を、さらに巨大にさせた直径1メイルもの炎の弾は、喰らえば大火傷、下手をすれば命まで燃やし尽くされる程の火力を有している。 勝利を確信して焔を放つキュルケだったが、満を持して放った炎が掻き消され、自身もまた疾風によって吹き飛ばされた。 その光景に誰もが息を呑む。 普段、おちゃらけた態度で居る事の多いキュルケであるが、その実力は折り紙つきで、誰もが認める程であったからだ。 だと言うのに、ギトーは、キュルケに勝った事が規定事実のように、 少しの高揚も感じさせない声で『風』が最強であると言う、偉ぶった演説を始めた。 ルイズは、そんな演説などクソ喰らえだった。 吹き飛ばされるキュルケの身体を受け止めるように出現させたホワイトスネイクに彼女の身体を受け止めさせると、愛用の杖を握り締めて、こつこつと甲高い足音を響かせギトーへと向かっていった。 ギトーは突然立ち上がった生徒に眉を顰めたが、今、自分が吹き飛ばした生徒と同じくフーケ討伐で名を上げた生徒だと知ると、特に注意もせず、教壇と同じ高さに降りてくるまで待ってから、先程と同じように挑発から会話を始める。 「ほぅ、どうやら、君も『風』が最強と言う事に異論があるらしいな、ミス・ヴァリエール。 異論があるなら、先程の彼女のように私に魔法をぶつけてくると良い。 何、君に使える魔法があればの話だがね」 ギトーは、ホワイトスネイクの能力を知らない。 基本的に生徒に関して無関心である為に、生徒よりもさらに重要度の低い使い魔の事など、どうでも良いからだ。 その為、ギトーの中では、ルイズは魔法の使えない無能な生徒のままで時が止まっている。 ルイズは、とりあえずギトーの挑発を無視してキュルケの傍へと歩み寄る。 ギトーを如何こうするより、キュルケの体調の方が、重要度が高い為に。 「大丈夫、キュルケ?」 「平気よ。それにしても、ほんと、貴方の使い魔って有能ね。 あんなちょっとの時間で、私を受け止めてくれるなんて」 キュルケの言葉にルイズは、ちょっとだけムッとした。 確かに助けたのはホワイトスネイクだが、そうなるように位置やタイミングを合わせたのは、自分だからだ。 自分が行った行為に対する正当な賛美が無いと機嫌が悪くなる所は、まだ子供なルイズであるが、物事の切り替えの早さは、すでに他の人間と比べて特出するにまで至っている。 「それじゃ、ちょっと、あいつをとっちめて来るわね」 杖の矛先をギトーへと向けるルイズに、キュルケは、にんまりと笑った。 「手加減ぐらいしてあげなさいよ」 「あら、目上の人に手心を加えるなんて失礼じゃない?」 ルイズも釣られてニヤリと口元を吊り上げると、制服のポケットから一枚のDISCを取り出し、自分の頭へと差し込む。 巻き添えを食らわないように自分の席へと戻ったキュルケは、タバサに耳打ちをして、学生席を全て風の防護膜で覆う。 万が一の事態に備えた上の行動である。 ギトーは、風の防護膜に素晴らしいと言葉を漏らして、興味深げにタバサの魔法を観察していた。 彼にとって、ルイズなど眼中にすら入っていない。 典型的なメイジの思想を持っている彼にしてみれば、メイジ以外など下等も下等。 魔法を使えないルイズも、ご多分に漏れず下等に分類されている。 そんな事を知ってか知らずか、ルイズは詠唱を完了させると足元の地面を変換させる。 ルイズの魔法に、誰もが、『風』以外の属性を見下しているギトーですら唖然としてしまった。 石造りの床を錬金よって、質量保存の法則とかを強引に無視させ、天井までの大きさを持つ岩にルイズは創り変えたのだ 「先に行っておきますけど、死なないでくださいね?」 気持ち悪いぐらいに優しげな響きを持ったルイズの言葉と共に、その岩がギトーの方へと倒れていく。 もはや、魔法だとかそういう次元の話では無い。 相手は、火の玉でも無ければ氷の矢でも無く、土のゴーレですら無い、ただの岩の塊。 圧倒的な質量で自分に倒れてくる、その塊に必死で魔法をぶつけるギトーであったが、吹き飛ばそうにも、あんな質量の物体を弾き飛ばす事など彼には出来ない。 出来るのは、風によって、倒れてくる時間を引き延ばす事だけである。 「ぐっ、ぐぐ!!」 魔法の連続使用による負荷によって、ギトーは精神が飛びそうになったが、必死に意識を繋ぎとめる。 今、ここで意識を失えば自分の身体は………… その先は、考えたくも無い事柄だった。 「助け―――」 「命乞いなんてみっともないですよ、先生」 醜く、命乞いをしようと声を上げようとしたが、岩の向こう側に居たルイズが、何時の間にかギトーの隣で、チェシャ猫のように耳元まで裂けた笑みを浮かべて立っている。 ギトーは悟った。 こんな笑みを浮かべる者に、命乞いなど意味が無い事を。 そして、後悔した。 自分は、こんな化け物みたいな哂いを浮かべる者に、戦いを挑んでしまったと言う事を。 「うっ、うおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」 すでに限界は来ていた。その限界を死にたくない一心で騙し続けていたギトーであったが、とうとう魔法の発動が止まり、岩の動きを遅くしていた風が無くなる。すると、岩は凄まじい速度でギトーに倒れこんだ。 ルイズは、その叫び声を、まるでフルオーケストラを聴いているように、うっとりとした顔で耳に刻みながら、タクトの如く杖を振る。 「ぉぉぉぉぉおおおお…………お?」 こつんと、ギトーの頭に石が当たった。 岩がギトーを押しつぶす寸前、ルイズが錬金を解除した為に、元の質量に戻ったのだ。 ルイズは、ギトーの先程までの醜態に満足したのか、何も言わずにキュルケとタバサが座っている席へと戻っていく。 「ちょっとやり過ぎだったんじゃない?」 「あれぐらいなら良い薬よ」 「良薬口に苦し」 席へと戻ったルイズに少し困ったような調子で注意するキュルケと、ルイズの行動を肯定しているのか良く分からない言葉を呟くタバサ。 そんな三人の様子を見ながら、ギトーはふらふらと教室を出て行く。 「やや! どうされました、ミスタ・ギトー、まだ授業中ですぞ!?」 廊下に出ると妙に着飾ったコルベールと鉢合わせたので、授業の代役を頼むと、返事も聞かずにギトーは自室へと戻っていく。 今日は、もう、誰とも話す気にはならなかった。 ケツの穴に氷柱を突っ込まれかのように、おとなくしなってしまったギトーの態度は、『風』を最強と自負していた頃と比べると、見る影も無い程に衰えてしまっていた。 同じ頃、燦々と太陽の光が降り注ぐ中、ご主人様から預かった洗濯物を干している才人は、同じく、洗濯物を干そうとしているシエスタと話し込んでいた。 本来なら生真面目な性格であり、仕事中の雑談などしないシエスタであったが、 才人と一緒の時だけは、どうしても仕事が疎かになり、会話を楽しんでしまう。 それが駄目な事だと理解はしているが、どうしてもそれに『幸福』を感じてしまうシエスタは、それを直そうとは思わなかった。 「へぇ、シエスタの故郷って、そんなに良いところなんだ」 「はい。片田舎ですけど、村の人は優しくて、山には色々な果実が実ってて、ほんと、平穏なところですよ」 二人の会話は、何時の間にか故郷に関する話となっていた。 自分の故郷、タルブ村を事細やかに説明するシエスタに、才人は楽しそうに笑っていたが、不意にシエスタの表情が曇る。 「あれ……どうかした?」 「あっ、いえ……あの、すいません、無神経な事を話して」 申し訳そうに謝るシエスタに、はてと才人は首を傾げた。 一体、今の何処に無神経な事があったと言うのか。 「えっと……なんで、シエスタは俺に謝ってるの?」 疑問をそのまま口にすると、シエスタは益々、身を縮めて悲しそうな顔をする。 正直、グッときた。 「だって……サイトさん……自分の故郷に帰れないのに、私、故郷の話をして……」 シエスタの言葉に、才人は、手をぽんと叩いた。 そうか、確かに帰れない人に、帰れる人間が自慢するのは失礼にあたる行為かもしれないが、特に自分はその事に対して何も感じていない。 「いや、俺、そういうのあんまり気にならないからさ。 むしろ、シエスタが故郷の話を聞かせてくれるのは、凄く楽しいから、もっと聞きたいなぁ、とか思ってるけど」 才人の返答に、シエスタは良かったぁと安堵の溜め息を吐き、豊満な胸をほっと撫で下ろした。 「でも――――――とか思わないんですか?」 「え?」 聞こえなかった訳では無い。 ただ、どうしてかその単語が脳内で理解できなかったので、才人はもう一度聞き返す。 シエスタは、不思議そうに先程と同じ内容を繰り返した。 「ですから、故郷に帰りたいとか思わないんですか?」 「――――――――――――あっ」 帰りたい――――――才人は、自分の中に在り得なかった、その発想に愕然とした。 思えば、異世界である此処に迷い込み、シエスタの曽祖父が自分と同じ世界の人間かも知れないと聞かされた時でも、 自分の頭に『帰る』と言う考えは浮かばなかった。 何故ならその考えは………………無駄だから? 「サイトさん?」 「あっ……れ?……」 シエスタの怪訝そうな声に、今まで考えていた事柄が思い出せなくなる。 「えっと……何の話だっけ……あぁ、そうだ、シエスタの故郷の話だったっけ?」 何処と無く不自然な顔をした才人に、シエスタは何も言わず、心配そうな視線を向けてくる。 才人は、自分の中に何か釈然としないものがあるのを感じながら、それについて考える事を放棄した。 放棄せざるをえなかった 「そういえば、前、聞かせてくれたけど、シエスタの故郷に秘宝みたいなのがあるとか言ってたよね? それって、どんなものなの?」 才人の何事も無かったかのような態度に、シエスタは何かを言おうとしたが、軽く頭を振ってから質問に答える。 「うちの曾御爺ちゃんが残したモノなんですけど……その『悪魔の牙』って―――」 「あっ、シエシエ、見つけた~!」 シエスタの口から、なんだか物騒な単語が出るのと同時に、シエスタと同じメイド服に身を包んだ少女が、才人とシエスタの近くまで走ってきた。 「どうしたんですか、そんなに急いで?」 同僚の慌しい雰囲気に、シエスタが尋ねると帰ってきた答えは意外なモノであった。 「王女様! アンリエッタ王女様が此処に来るんだって!!」 メイドが息を切らしながら伝えた内容に、才人とシエスタはお互いの顔を見合わせた。 四頭のユニコーンに引かれた特別製の馬車が、魔法学院の正門を通過し、姿を現すと、王女の到着を今か今かと待ち侘びていた生徒達は、一斉に杖を掲げた。 件の三人組も、他の生徒達と同じように杖を掲げていたが、心情は他の生徒とは若干違いがあった。 キュルケは、清楚で穏やかな王女よりも自分の方が綺麗じゃないかと詰まらなそうな顔をしていた。 タバサは、トリステインの王女自体にそこまで興味が無かったので、杖を掲げているだけで何も考えていない。 強いて言うならば、今日の晩餐は、王女が来たお陰で豪勢になると考えていた。 ルイズは、何か……遠い何かを見るような目でアンリエッタを見つめていた。 「思ウ所ガアルト言ッタ顔ダナ」 「別に……時間の流れって、無情って思っただけよ」 隣に立つホワイトスネイクの声に、返答したルイズは、馬車が見えなくなると同時に部屋へと戻る為に、踵を返した。 今のアンリエッタに、昔のような、見ると安心するような笑みは無かった。 彼女の顔にあったのは、張り付いたかのような作り笑いのみ。 幼少のみぎりに共に遊んだ少女は、あそこには居なかった。 あそこには、ただの王女が居るだけ。 「ほんと……無情ね」 ぽつりと、誰に言うでもなく呟いた言葉にホワイトスネイクは何も言わずに、ルイズの後に続くのだった。 その夜、夢と同じような赤色の月が光を提供する部屋の中で、ルイズは熱心にホワイトスネイクと会話するタバサを見ていた。 夜分遅いと言うのに、部屋に留まる蒼髪の少女にルイズは、頑張るものねぇ、と呟く。 「挑戦」 一通りホワイトスネイクとの会話を終え、手に持っていた一枚のDISCをタバサは、何の躊躇いもなくDISCを挿し込み―――案の定苦しみ始めた。 「はぁ……ホワイトスネイク」 落胆したかのようなルイズの声は、もう三度目だ。 ホワイトスネイクは、その声に反応し、これもまた三度目となるDISCの強制排除を実行する。 「……失敗」 自分の頭から抜き取られたDISCを渡されながら、苦々しげに呟くタバサだったが、何処と無く声に覇気が感じられない。 「今日ハココマデダ。ソロソロ、精神力ガ限界ダロウ」 ホワイトスネイクの言葉に頷くタバサは、ルイズに一礼をしてから、よろよろとおぼつかない足取りで部屋から出て行こうと扉に手を掛け、掴まれた。 「そんな危なっかしい歩き方しか出来ないのに、部屋を追い出したんじゃ、私がキュルケに叱られるわ。 少し、休んでいきなさいよ」 語尾を強めるルイズに、タバサは思わず頷いてしまう。 そのまま勧められるままに、テーブルの椅子に座るタバサだが、この申し出はありがたい。 正直、眩暈と吐き気によって気分が最悪で、部屋まで歩けるか分からなかったからだ。 「でも、あんたも頑張るわよね……初日から、こんなに気合入れるなんて」 「…………」 「まぁ、『力』を使いこなせるようになれば、便利だから頑張るのは分かるけどね」 あふ、と欠伸をして、眠たげにベッドに横になるルイズを見るタバサの瞳は、何時も通りの無感動を映している。 「相変わらず、人間味の無い眼をしているわね、あんた」 「自覚は無い」 「でしょうね。そんな眼、自覚してやってるとしたら、相当、性質が悪い奴だから」 タバサの体調が回復するまで、取り留めの無い話を振っていたルイズであったが、扉のノック音が部屋に響くと同時に、半分閉じかけていた目を強制的に開かせ、扉の方へと視線を向けた。 始めに長く二回、その後、短く三回ノックされたのを確認してから、ルイズは立ち上がり、扉を開けた。 扉を開けると、そこには黒頭巾を被った少女が、頭巾と同じ色のマントを羽織って立っていた。 「まさか……」 頭巾越しに分かる少女の顔立ちに、ルイズは驚きからか、言葉を漏らす。 少女は、ルイズの言葉に反応するように部屋へと入り、扉を閉めてから杖を振るった。 ホワイトスネイクが警戒の色を濃くし、何時でも少女の頭蓋を砕ける位置に立っている事に気がついたタバサは、声を掛ける。 「魔法での仕掛けが無いか確認しただけ」 その説明に、頭巾の少女は頷きながら頭に被った布を取り去る。 「驚いた」 本当に驚いているのか、激しく疑う程に単調に呟かれたタバサの言葉は、頭巾を取り去った少女―――アンリエッタ王女へと向けられたものだった。 「姫殿下」 アンリエッタ王女の眼前に居たルイズ、恭しく膝をついた。 そこに、タバサは違和感を感じた。 貴族たる事を、絶対として扱っているルイズにしては珍しく、その仕草に何処と無く不自然さが付き纏っていたからだ。 「あっ、ほら、あんたもさっさと―――」 「良いのよ、ルイズ。貴方のお友達なら、私にとってもお友達だもの。 ルイズも、ほら、立ち上がって。友達に対して膝をつく人なんて居ないでしょう?」 優しげであり、母親に抱かれるような抱擁感を覚えさせる声に、タバサは思わず息を呑む。 なるほど、確かに王女と言うだけはある。 風格と仕草、それに何者をも癒すかのような声には、カリスマに満ち溢れていた。 普段から、トリステインの王族は執政者としては他の王族に格段に劣っていると聞き及んでいたタバサは、よくそれで国が動いていると思っていたが、なるほど、このカリスマは、王族としては一流だ。 そこまで考えて、不意にタバサの顔に影が落ちた。 それは如何なる思考の果てなのか、無感動を歌うはずの彼女の瞳は、その時ばかりは揺れに揺れていた。 幸い、昔話に花を咲かせている、ルイズとアンリエッタは気付かなく、気付いたホワイトスネイクも別に声を掛ける義理も無いので放っておいた為に、彼女の思いが外に出る事は無かった。 「あの頃は……本当に楽しかったわね、ルイズ」 昔話が一頻り済んだ時に、アンリエッタはぽつりと懐かしむように呟いた。 「えぇ、本当に……」 それに対して相槌を打つルイズは、今朝見たアンリエッタと、今のアンリエッタの違いに内心、物凄く驚いていた。 あの時は、作り笑いを浮かべ、民に対して手を振るうだけの人間になってしまったと思っていたが、今、こうして目の前で話すと、昔のままのアンリエッタが存在している。 (人間って、凄く便利な生き物なのね) (何ヲ今更。人ハ、誰彼モ欺イテ生キテイケル、唯一ノ生キ物ダゾ?) 呆れたようなニュアンスを含んだホワイトスネイクからの返答に、そうなのかしら、と思いながら、ルイズはアンリエッタの言葉に返答していく。 だが、話の合間に溜め息を吐き続けるアンリエッタに、ルイズは眉を顰めた。 タバサに顔を向けると、彼女もまたルイズと同じ結論なのか首を縦に振る。 「あの……姫様、どうかなさったんですか?」 「えっ?」 「先程から溜め息ばかりを……何か、悩み事があるのでは?」 疑問系で聞いたルイズだったが、アンリエッタに何か悩み事が存在する事は確信していた。 思えば、もう何年も会っていない友人に会いに来て昔の話をしたのも、恐らくはその悩みで磨耗した気を紛らわす為だったのだろう。 「あぁ、ルイズ……やはり、貴方には分かってしまうのね。昔から友達である貴方には……」 誰でもあんなに溜め息を吐けば分かると言うものだが、それに突っ込むものは居ない。 ともあれ、アンリエッタは、眼を真っ直ぐルイズへと向けようとしたが、その前に、椅子に座っているタバサへと視線が逸れた。 「すいません。この話は国の重要事項であり、信頼の置ける人物にしか……」 「分かった」 申し訳無さそうに述べるアンリエッタに、タバサは立ち上がり、一礼してから部屋の扉に手を掛ける。 調子の悪さも、きちんと歩けるぐらいには回復していた。 「じゃあね、また明日……かしら」 後ろから掛けられたルイズの言葉に、振り返らずに頷いたタバサは、服のポケットに入っているDISCの重さを確かめながら、部屋を後にした。 「これで、今、この部屋に居るのは、私と私の使い魔のみ……話していただけますか、姫様」 タバサが完全に遠のいたのを確認してから、ルイズがそう言うと、アンリエッタは重々しく頷き口を開いた。 「そうですね…………では、話しましょう。私が、夜も眠れぬ程に悩む事柄を―――」 憂いを張り付かせ、笑みが掻き消えたアンリエッタの表情に、今更ながら、厄介事に巻き込まれる事になると気が付いたルイズであった。 第十話 後編 戻る 第11.4話
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前ページ次ページゼロと電流 一同の行動を決めたのは、一羽の梟だった。 見覚えがあるというキュルケに、シルフィードは今までタバサへの指令を運んでいた梟だと告げる。 「ルイズへ。七日後、我が屋敷に来られたし」 タバサの筆跡であることを確認すると、キュルケはその内容をルイズへ伝える。 「シルフィードが私の所に逃げるって予想していたようね。タバサの屋敷はラグドリアン湖畔、国境付近のガリア領内の屋敷よ」 モンモランシーがキュルケの言葉に動揺を見せる。 「それ、間違いないの?」 「ええ。一度だけど行ったことあるもの」 初耳だとギーシュが言うと、ひけらかすようなことではない、とキュルケは応える。 自分の出自をタバサが語りたがらないことは全員が知っていたので、それは確かに納得できることだった。 しかし、モンモランシーは続ける。 「待ってよ。ガリア側にある昔からの大きな屋敷なんて、一つしかないじゃない」 「なら、話が早いわ。そこのことよ」 「誰の屋敷か知っているの?」 「勿論」 キュルケは一息置くと、一同を見渡しながら言った。 「無能王ことガリア王ジョゼフの実弟、オルレアン公のお屋敷」 ギーシュとシエスタはポカンと口を開け、モンモランシーの表情は厳しくなる。 そして、ルイズは頷いていた。 「ジョゼフにより暗殺された、と言われているオルレアン公の屋敷ね」 「待ってくれ、それじゃあ、タバサはガリア王の血筋の者ということかい?」 「あるいは、深く関わりのある者か」 カリーヌが言を続ける。 「オルレアン公にはシャルロットという娘がいたと聞いています。年は、タバサと名乗る子と同じくらいでしょうね」 全員が口を閉じ、互いの顔を見合わせる。 やがて、ギーシュがぽつりと言った。 「……もしかして、ガリアのお家騒動に関わることになるのか?」 「あの子はタバサ。あの子が自分でそう名乗り続ける限り、私にとってタバサはタバサ」 キュルケは言い切る。 反論は許さない。タバサの友として。 「シャルロットなんて私は知らない。私が救いたいのはタバサ。それ以外の何者でもないわ」 そうか。と誰かが呟く。 次いで二人、三人、と呟きが広がる。 「オルレアン公の娘なんて、そんな畏れ多い知り合いなんて、私にはいません。でも、タバサ様は大切な御方です」 シエスタが言い、キュルケは微笑んだ。そして頷く一同。 「満場一致ね」 「囚われの姫を救うのは騎士の誉れという奴だね。男子たるもの一度は夢見るシーンじゃないかね」 「ああ、ギーシュのお姫さまはタバサなのね。よくわかったわ」 「いやその、モンモランシー? これは言葉の綾というもので……痛い! 痛いって!」 タバサを救う。一同の意志は固まっていた。 しかし、場所も時間も相手の指定のままである。 罠を仕掛けるにはあまりにも絶好だろう。 「知らずに罠に掛かるのと、知ってて罠に向かうのは自ずから別のものでね」 モンモランシーから逃げたギーシュが知ったように嘯く。 「罠を逆に利用してやればいいのさ」 「どうやって?」 「うん、それは今から考えるとしてだね」 「やっぱり馬鹿ね、貴方」 モンモランシーとギーシュのやりとりに思わず笑うルイズ。 キュルケも笑い、カリーヌもやや相好を緩めている。 期日までの七日間を、一同はヴァリエール家の別荘で過ごすことになった。 傷を癒す者、魔法に工夫を加える者、異界のマシンの技に習熟する者。それぞれが思うように時間を過ごす。 そして指定された当日、一同はラグドリアン湖畔に集まっていた。 いや、正確には集まっていたのではない。足止めされていた。 「予想通り、っていうことね」 キュルケの言葉に自嘲の響きはない。 ルイズの同意を求めようとしたキュルケは、その妙な表情に気付く。 「どうしたの?」 「敵がまとまっているのよね」 「ええ」 キュルケはルイズの視線を追う。そこには異形の怪物が数体、こちらを窺うように佇んでいる。 「あれは、メカアーミーって言うのよ。ザボーガーの記録で見たわ」 「ええ」 「ザボーガーは、メカアニマルには負けたことがないのよ」 「うん。え? アニマル?」 「アニマル」 「あそこにいるのは?」 「アーミー」 メカアニマルはΣ団、メカアーミーはその後に戦った恐竜軍団の者である。 当時、メカアーミー第一号に敗れたザボーガーはストロングザボーガーとして強化された。 しかし、ストロングザボーガーに必要な合体相手、マシンバッハはここにはない。 つまりは、ザボーガー単体で戦うことになる。 「ルイズ?」 「負けるとは思ってないけれど」 今のザボーガーの動力源は虚無である。それは、かつてのダイモニウム、怒りの電流に比べれば遥に高性能なエネルギーである。 つまり、同じザボーガーでも、かつてのザボーガーよりは強化されているということだ。 さらにここには烈風がいる。キュルケもギーシュもいる。マシンホークもある。 「一人で突進しない限り、負けないわよ」 その言葉にキュルケは何か言いかけた口を閉じる。そして、ギーシュとモンモランシーを見た。 二人は嬉しそうに頷いている。 やや時間を空け、ルイズは言った。 「キュルケ、ギーシュ、モンモランシー、シエスタ。そして、お母さま」 ルイズはマシンザボーガーから降りると、一同をそれぞれ見やる。 シルフィードは上空から降りてこない。三ッ首がいる、と彼女は断言し、そのまま上空を飛んでいるのだ。 力量差にかかわらず、竜族である限り三ッ首には対抗できない、それを知った上での配置であった。 「一緒に、戦いましょう」 答えは決まっている。 カリーヌが杖剣を構える。 ギーシュがゴーレムを作り上げる。 キュルケが景気づけのように炎を飛ばす。 「チェンジホーク!」 「電人ザボーガー! GO!」 虚無の力を得たザボーガーは、かつての劣勢を想像すらさせない力で、次々とメカアーミーを撃破する。 チェーンパンチが胴を貫く。ブーメランカッターが胸を切り裂く。速射破壊銃の前に立ちはだかることのできるメカアーミーはない。 あまりにもあっさりと片づいたことで、逆に一同には不審が募る。 何らかの罠か、と周囲への警戒を怠らずに屋敷へと向かうが、その様子もない。 そして、屋敷前に待ちかまえていたのはタバサ本人だった。 「やはり、皆で来た」 「タバサ、貴女無事なの?」 「怪我は負ってない」 キュルケに一言応え、タバサの視線はルイズへと向けられる。 「ルイズ。何も言わず従って欲しい」 「断るわ」 迷い無く答えるルイズ。 「貴女こそ、正気に戻りなさい。三ッ首が何者かわかっているの?」 「関係ない」 やはり迷うことなく答えるタバサ。 「私は、任務を果たすだけ」 瞬間、カリーヌが杖剣を構える。それにやや遅れて身構えるキュルケ。そしてギーシュはモンモランシーの前に立つ。 「これが……」 「……獣臭くて嫌になるわ」 「モ、モ、モンモランシー、き、君は下がっていたまえ」 タバサの背後、屋敷の影から現れる巨体。異形の竜にしてリーヴスラシル、魔神三ッ首。 シルフィードが一声鳴いた。それは威嚇か、あるいは恐怖か。 ……よく来た、ザボーガー。大門豊でないのが惜しいがな そしてゆっくりと開く玄関扉。 タバサは扉のほうにちらりと目を向け、言う。 「ルイズ以外は帰っていい」 私の任務は、ザボーガーを『ここ』へ誘き出すこと。 ザボーガーとその繰者であるルイズ以外は関係ない。 タバサが告げると同時に、屋敷の中から現れるメカアーミー群。 「数だけ揃えるなんて、雑魚確定じゃない?」 「まったく、少数精鋭という言葉を知らないと見える」 ファイヤーボールが唸り、ゴーレムが拳を振るう。 ルイズはメカアーミーには視線の一つも向けず、巨体を睨みつけるように立っている。 ……ただのザボーガーで我に勝てると? 凄まじいプレッシャーに顔をしかめるルイズ、その横に並ぶカリーヌとシエスタ。 「ルイズ、一人ではありませんよ」 「ルイズ様、ホークはこのためにハルケギニアに来たんだと思います」 ……いや、そうでもないか 二人に続いた三ッ首の呟きに被せるように、ホークでもザボーガーでもない第三の機械音。 「役者が揃ってるじゃないか!」 唐突かつ聞き慣れぬ声。さらに砲声、爆音。 吹き飛ばされるメカアーミー。驚きに目を見開くキュルケ達。そして、タバサ。 「どうして……」 「何驚いてるんだい? いつもの無表情な人形面はどうしたのさ?」 ルイズの目も見開かれる。 そこにあったのは、ザボーガーの記憶の中にあったマシン。盟友マシンバッハである。 「トリステインの貴族さん達? 緊急事態だ。跪けとまでは言わないが、挨拶ぐらいはしてもいいんじゃないかい?」 「これは失礼を。ガリアの姫よ」 ただ一人、表情も変えずに応じるカリーヌにイザベラは笑い、 「さてと、細かい説明は後だ。そこの娘、合わせて貰おうじゃないか!」 マシンバッハが唸る。 ルイスは咄嗟にザボーガーをマシンに戻してターンさせると、バッハへと走る。 シエスタはホークを三ッ首と二人の間に配置し、その動きを一瞬でも牽制しようと動く。 「あんたこそ、こっちに合わせなさいよ!」 「上等! やってみなっ!」 二台が交差する直前、二人はそれぞれのマシンから飛び降り、そして命じた。 「チェンジ! ストロングザボーガー!」 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは風のスクウェアである。 だが、人々は気付いていない。彼の呪文には明らかな偏りがあることを。 ワルドが使うことのできる魔法はただ一つ、「遍在」のみである。 人々は知らない。彼が「遍在」のみに特化した風の使い手であることを。 多種多様な風の魔法を操っているのは彼ではなく、彼の「遍在」である。 それはワルドにのみ許されたレアスキル。「風の原石」の担い手となった者のみに許された、唯一の魔法。 ワルドの母は、研究者だった。その研究内容が風石に関わっていることをワルドは知っていた。 だが、ワルドにとってはただそれだけだ。詳細まで知っていたわけではない。 ワルドがその内容を知ったのは、母の死後のことである。 母は事故死とされた。しかしワルドは知っている。母の死の原因は自分だと。 半ば気狂いのように研究に没頭する母を、彼は疎ましく感じていた。だからこそ、彼は母を日常にいない者として扱っていた。 そんなある日、彼は進む道を邪魔するように立っていた母を払いのけた。悪意はなかった。ただ、邪魔だっただけ。 しかしそこは、階上だった。さらに、階段のすぐ目の前だった。 ワルドを弁護するのは容易い。母は実際に気狂いと言われても仕方のない状態だったのだ。 彼は、壁に向けてそんな母を押しのけたのだ。 抵抗するとは思っていなかったのだろう。抵抗しようとして、痛めていた膝が折れるとは予想できなかったのだろう。 膝が折れた側に傾いた身体。その先には、階段があった。 そしてワルドは、母を押しのけた自分を嫌悪し、そっぽを向いていた。 気付いたとき、母の身体は段に叩きつけられ、滑るように落ちていくところだった。 運がいいのか悪いのか、頭から落ちた母は即死だった。少なくとも、苦しむ時間は最小に抑えられたのだ。 己のやったことに気付いたワルドは死体を見下ろす。 ――母さんを殺したのは僕なのか? 答える者などいなかった。 さらにその数年後、父を失い天涯孤独の身となった頃、彼は母親の残した研究成果を己の血肉としていた。 成果は三つ。 「大隆起」 「風原石」 「四つの虚無」 それらの情報をワルドは手中に収めたのだ。 トリステイン、いや、ハルケギニア全体を破壊しかねない天変地異「大隆起」の詳細。 全ての風石を束ねる、あるいは下位とする最大かつ最高にして唯一の風石「風原石」の所在地と制御法。 世界の始まりと理すら左右する「虚無」に関する知識。 これらが揃えば、破壊、君臨、どれを選ぼうと不可能ではない。ハルケギニアの神も悪魔も自在のままだった。 だが、完璧ではないことにワルドは気付いていた。 ワルドは時を待つ。己が力を蓄える。 まずは「風原石」を手中に収め、風石の一斉活動による「大隆起」の時期を限定的ながら制御する術を手に。 そして、「風原石」により得たレアスキル「遍在特化」により、十数体の遍在を自在に操る。 それほどの時をかけず、ワルドの手元には莫大な情報が集まることとなる。何しろ、彼の遍在はその全てが風のスクウェアである。 そのうえ、死と引き替えにしてまで情報を得ることが出来るのだ。 さらに、それによって得た「アンドバリの指輪」は、まさに水系統における「風原石」のようなアイテムであった。 人の心を操り、あるいは死人すら操る水の力。 これだけの力を個人で得た者が、かつてのハルケギニアにいただろうか。 いや、いたことを、ワルドは知っている。 始祖ブリミル。そしておそらくはリーヴスラシル三ッ首竜。 ワルドは、三人目なのだ。 今、史上三人目の力を手にした男はアルビオンにいた。 玉座に背を預け目を閉じたワルドは、心を遍在へと飛ばす。 いくつもの情景がめまぐるしく移り変わる中、ワルドは一つの情景に心を止めた。 それはラグドリアン。 ガリアの情報を知って以来、ガリア各地に埋め込んでいた遍在の一部。 水と風の究極の力により遍在もまた、その力を変えた。 遍在特化とアンドバリの力を掛け合わせることにより、人ならざる遍在を操ることが可能となった。 操るのは「人」である必要などない。そこには「人」の部品があればいい。 目玉一つに耳一つ、そして手首。それだけあれば見、聞き、移動することが出来る。 今、ラグドリアン……いや、ガリアの各地では奇妙な動物を見ることが出来る。耳と目を持ち、自在に動き回る手首を。 その内の数体が、タバサの屋敷の屋根裏に、地下に、壁の隙間に集まっている。 ワルドは、いくつかの視界を通じ、屋敷内の情景を眺めている。 カリーヌ達と共にメカアーミーを薙ぎ倒すザボーガー。 現れる三ッ首。 ストロングザボーガーの登場に、ワルドは眉を上げた。 やりとりを聞く限り、それはザボーガーのパワーアップ形態なのだろう。おそらくは、三ッ首を倒せるはずの。 ザボーガーによる三ッ首打倒は、ワルドにとっても望むべきことだ。 ワルドにとって三ッ首打倒は難しい。ザボーガーを倒すことも同じ。しかし、ルイズを倒すと考えれば難易度は極端に下がる。 ならば、ワルドにとっては三ッ首をザボーガーに倒させるのが最も有利なのだ。 「ロケットチェーンパンチ!」 ワルドが見たチェーンパンチとは異なり、それは火柱を噴き上げながら高速でメカアーミーを貫く。 「ジェット! ブーメラン!」 これもブーメランカッターとは違う。当然の事ながら、威力は桁違いだ。 ワルドの見る限り、ストロングザボーガーはザボーガーとは比べることすらできない強さだろう。 そのザボーガーに負けた自分が、正面から倒せる相手ではない。 「ストロングバズーカファイヤー!」 腰の二門の砲塔からの砲撃がメカアーミーを粉砕する。 ワルドは思わず笑っていた。 強い。確かに強いのだ、ザボーガーは。 だが、所詮は人によって操られるゴーレムの類に過ぎない。操者を倒すと考えれば、これほど簡単な相手もいないだろう。 だから、それはいい。今のワルドにとって、この光景で気になっているのは二つだ。 「さて、ミス・サウスゴータ?」 「ここに」 とある理由でガリアへ派遣された部隊と入れ替わるように戻ってきていたフーケが、即座に姿を見せる。 「その鏡を見たまえ」 無造作に置かれた一つの鏡には、ワルドに送られている映像がそのまま映されている。 「ザボーガー……イザベラ? それに三ッ首ですか」 「イザベラが何故そこにいると思う?」 「三ッ首を倒すためでしょうか?」 ガリアに潜入していたフーケの得た情報は三つ。 ヴィンダールヴとしてマシンバッハを召喚したジョゼフは、三ッ首に与している。ただし、その理由は不明。 イザベラは三ッ首に不信感を持ち、ガリア王の行動を由としていない。 そして、生きる屍とされたロマリアの虚無ヴィットーリオが現在幽閉されている場所。 「手持ちの情報では不足か。ではもう一つ」 ワルドは、鏡に映ったホークとシエスタの姿を示す。 「ルイズにはガンダールヴとしてザボーガー。ガリアにはミョズニトルンとしてマシンバッハ。ロマリアではリーヴスラシルの三ッ首」 フーケは無言で鏡を見つめていた。 動けない。ワルドの視線は一方向ではない。複数から感じる視線。それはワルドの遍在であった。 いや、今のこの玉座に座っている本人すら遍在ではないと誰が言えるのか。 「マシンホークとやら、アルビオンのヴィンダールヴに思えるが」 「ならば、私の知らない内にアルビオンの何者かが召喚したのですね」 「君の妹は虚無には目覚めていない、と聞いたが」 「ザボーガーを召喚したルイズは王族の血を引いているとはいえ、ヴァリエール家の者です」 「アルビオン王家の血を引く者が他にいると?」 「いないとでも?」 証明も反証も不可能だ。 王家の者が愛人に産ませた子。隠された子がいないと、誰が断言できるのか。 「どちらにしろ、ザボーガーにもサポートは必要でしょう」 「確かにな」 下がって良いと告げられ、一礼し下がろうとするフーケをしかしワルドは呼び止める。 「開き直りは一度だけ許す。次はない」 「……さあ、何のことだか私にはわかりかねますわ」 「ああ、それでいい」 それだけを告げると興味を失ったように視線を外し、再びガリアの光景へと埋没する。 「観念するんだね、図体だけのトカゲ野郎」 メカアーミーを失った三ッ首に、イサベラが告げていた。 「ガリア王妃の名にかけ、貴様を誅殺する」 三ッ首への視線をずらさず、 「……シャルロット、今ならまだ間に合う、三ッ首を捨てな」 「私はもうガリア王には与しない」 「解毒剤を渡すと言ってもかい?」 「信用できない」 「私や父上より、三ッ首のほうが信用できるって言うんだね」 「当然」 「だったら、ルイズを信じな!」 突然の指名に絶句するルイズ。タバサは思わずルイズを確かめるように視線を向ける。 「ルイズ、あんたならわかるだろう」 「何よ」 「虚無魔法〈記録〉に目覚めたガリア王。そして、ガリアにあるマシンバッハ」 ……視たのか 「ああ、そうさ。見たさ。クソトカゲ野郎が、人の母親に何をしたかまでね!」 三ッ首配下として仕えたメザの姿を、ストロングザボーガーは当然見ている。その記録は、バッハの中にも残されていたのだ。 「……にも関わらずいけしゃあしゃあと、死んだ人間を蘇らせるために力を貸せとガリア王に申し出たクソトカゲ野郎がいたんだとさ」 イザベラの瞳が三ッ首を射抜くように輝いている。 「騙された王も馬鹿さね。だけど、私は嬉しかったんだ。母さまを救うために父さまが動いてくれていることが!」 だから、だからこそ。 「絶対に貴様は許さないッ!」 それは、歓喜でもあった。 ガリア王ならば、その程度の詐術に惑わされるわけがない。王を良く知る者ならば誰もが異口同音にそう言うだろう。 だが、王は騙された。いや、騙されたかったのだ。 最愛の女が、妻が、娘の母が蘇るという嘘を。 だから、イザベラの心は震えた。 父の母への愛を知ったから。たとえそれが、どれほど無様な結果に終わろうとも。父が母を愛していたことは事実なのだから。 ……許しなど、乞うつもりもないわ。下等な人間ごときの命など、我の知ることか ……メザよ、虫けらを殺せ。お前の父を殺し、母を狂わせた男の娘を殺せ 「駄目ッ!」 キュルケが手を伸ばす。 その手に捕らえられるタバサは、三ッ首に操られるように杖を構える寸前だった。 「タバサ。貴方が人でなしになる必要はないのよ」 「放して」 「いや。この決着がついた後なら止めはしない。それでも貴女が今この場でどうしてもイザベラを討ちたいというのなら」 まずは自分を撃て。キュルケは告げる。 「ガリアへの復讐は止められないかも知れない、だけど、三ッ首に与することだけは絶対に駄目」 ……構わん。ザボーガーがここにいると言うことは、その人間は用済みだ。新しいメザなど、なんとでもなるわ 「させるかっ!」 イザベラとルイズが走る。 「ザボーガー! ストロングバズーカファイヤー!」 砲声と同時に白光が閃いた。 三ッ首から伸びた牙が、ザボーガーの左肩を貫く。 そして、砲撃を正面から受けた三ッ首は揺るぎもせずに立ちはだかっている。 以前の三ッ首とは違う。 確かにザボーガーは強化されている。虚無という力によって動くザボーガーの能力は上がっている。 だが、三ッ首も条件は同じ。さらに、この世界は元々三ッ首の生まれた世界である。そしてもう一つ。 今の三ッ首は、リーヴスラシルなのだ。 使い魔としての能力アップは、その召喚主が存在する限りは消えない。三ッ首にとってのヴィットーリオは、ガリアにいる。 正確には、幽閉されている。逃げ出さないように、いや、己の意思で動けぬように加工された状態で。 今のヴィットーリオはただ、三ッ首をリーヴスラシルでいさせるためだけにその命を許されているのだ。 「ザボーガー! 退きなさい!」 ザボーガーを下げるルイズ。しかし、ザボーガーで対抗できない相手に誰が立ち向かうというのか。 イザベラがザボーガーに並び、損傷を確認する。 「左手が完全にやられてるぞ」 本来の装甲も固定化も全て引きちぎるように易々と貫いた三ッ首の牙である。今のハルキゲニアに止められるものはないだろう。 「ルイズ様! ザボーガーをもっと下げてください!」 シエスタの声は頭上から。限りなく飛行に近い跳躍中のホークである。 「ホーク! 三ッ首を倒して!」 ホークはザボーガーと違い、空戦特化の格闘仕様である。固定武装はないに等しい。 対する三ッ首は、三つの竜口からそれぞれ炎、電撃、毒煙を噴き出すのだ。 それでも、シエスタは果敢に三ッ首へと近づく。 だが、ホークはあくまでもザボーガーの対抗機種であり、ストロングザボーガーほどの力はない。 三ッ首との直接対決では勝ち目はないと言っていいだろう。 その隙にカリーヌはルイズとイザベラを庇うように進み、モンモランシーは霧状の水で視界を塞ごうと試みる。 瞬時に火炎によって蒸発する霧。再び牙がザボーガーを襲う。 「ザボーガー! 逃げて!」 ルイズの命令も虚しく、牙がザボーガーの腹部を貫いた。為す術もなく倒れるザボーガー。 「ルイズ。ザボーガーを逃がすのです」 カッタートルネードを放ち、カリーヌがルイズに囁く。 「虚無魔法〈世界扉〉、覚えたはずですね?」 「お母さま、でも」 「時間がありません。自力で動ける内に、ザボーガーを逃がすのです」 言いながら、カリーヌはデルフリンガーをザボーガーに握らせる。 「デルフ、頼みます」 「ああ、任せな」 万が一、ということでルイズは既にカリーヌの計画を聞かされいた。だが、実際にそうなるとは予想していなかったのだ。 今のルイズには、ザボーガーがこうも簡単に敗れるとは想像も出来なかったのだから。 「早く!」 再び霧を生み出すモンモランシー。キュルケはタバサを抑えつつも、細かいファイヤーボールで三ッ首の視界を狭めようとする。 ……逃がすと思うか 三ッ首が動き、三つの牙が同時にホークを砕く。悲鳴を上げるシエスタ。 しかし、ホークは破壊されながらも牙を抑え込む。 ……邪魔だ ホークが最後の力を発揮しようとする寸前、ザボーガーが三ッ首の背後に現れる。 振り向こうとし、ホークにしがみつかれる三ッ首。 ……貴様! 浴びせられる電撃、今度こそ砕けるホーク。だが、ザボーガーが三ッ首に肉薄する。 ようやく振り向いた三ッ首は気付く。 このザボーガーの左肩が砕けていないことに。 ザボーガーに似せて作られた、ギーシュのゴーレムが砕け散った。 「苦労したんだ、引っかかってくれて嬉しいよ」 吼える三ッ首が見たのは、輝く鏡の向こうへと走り去るザボーガーの姿だった。 「精々吼えな、今頃……」 イザベラが憎々しげに微笑んだ。 「ガリア全騎士団を率いた王が、アルビオンと共にアンタの城をぶちこわしている頃だよ」 メカアーミーとて、一機に多数で掛かれば倒せない相手ではない。 それが、ガリアの誇る「裏」騎士団も含めてならば尚更だろう。 だが、イザベラはまだ知らなかった。 ワルドの真意を。 「ほお……」 ワルドの口元が笑みの形に歪む。 「なるほど、そういう事情だったのか、無能王。泣かせるじゃないか」 ならば、約定通りに手伝ってやらねばなるまい。 ワルドの心が再び揺らぎ、風原石を捉える。そこからさらに、ハルケギニア全土の地下に埋まった風石群へと心は飛ばされる。 ガリア地下の風石を、ワルドの心は捉えていた。 「ふむ。少々過激すぎるかな。まあ、構うまい」 ワルドの笑みが深まる。 「さらばだ、ガリア。そしてロマリアの虚無よ」 大隆起の引き金が引かれる。 その日、ガリアは滅びを迎えた。 前ページ次ページゼロと電流
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前ページ次ページ魔法少女リリカルルイズ 空を飛ぶ竜の背で感じる風は一時も休まることなく頬を叩き髪をなびかせる。 目に入りそうになった髪の一筋をかき上げたキュルケは指の間から見えるひときわ大きな雲の中におぼろげに光る何かを見つけた。 髪に当てた手をそのままに目をこらしていると、それは横に広がる輪郭を雲の中に映していき、なんの支えも無く宙に浮くその姿を見せていく。 「見つけたわ。あれ」 それこそがアルビオン。霧のベールをまとうが故に白の国とも呼ばれる浮遊大陸である。 その大陸にそびえる山に積もった万年雪が日の光を照り返し、まるで自らの内から発していたかのように輝いていたのだ。 キュルケが見たものと同じ光を見たタバサが、自らの使い魔である風竜の耳元で囁くと、それは翼を大きく羽ばたかせ首をアルビオンに向けた。 アルビオンの周りを囲む雲が後ろに流れるたびに、それまで淡い影だった大陸は徐々にはっきりとした輪郭と色を得ていく。 「ギーシュ、出番よ」 「ふふん。ぼくのヴェルダンデにまかせたまえ」 シルフィードの背に乗りラ・ロシェールから飛び立ったものの、キュルケ達はルイズがアルビオンのどこに行ったかは全くわからない。 それを見つけるための決め手こそギーシュの使い魔ジャイアントモールのヴェルダンデなのだ。 「さあ、頼むよ。ヴェルダンデ」 ギーシュが使い魔に命令する、と言うより麗しい女性のように頼まれたヴェルダンデは鼻を少し上げて左右に振り始めた。 モグラは元々嗅覚に優れた動物である。ジャイアントモールの嗅覚はさらに優れており、地中深くにある宝石を探し出し、嗅ぎ分けることすらできる。 それならヴェルダンデの嗅覚を使って水のルビーを見つければ、それをつけたルイズも見つけることができる。 ギーシュはそうラ・ロシェールでヴェルダンデと再会した後に蕩々と語ったのだ。 「ふんふん、なるほど」 「どう?ルイズはどこにいるの?」 ギーシュはさらさらの髪をかき上げ、ふっと鼻で笑うと答えた。 「わからない、だってさ」 「タバサ、ちょっと宙返りして。余計なもの捨てるから」 それを聞いたタバサは全く躊躇することなく真顔で頷く。 「わ、わ、わー、ちょっと待ってくれたまえ」 ギーシュの必死の叫びに何か思うことがあるのか、タバサはシルフィードの傾きかけた体を水平に戻す。 ただ、後ろを向いてギーシュを見る目は一見いつもと変わらないものであったが、被告人の言葉を聞く冷酷な裁判官のようでもあった。 「いいかね。いくらヴェルダンデの鼻が優れていると言ってもアルビオン全部の宝石の臭いが分かるほどじゃないんだ」 「それで?」 キュルケの二つ名は微熱。 だが、その言葉は吹雪よりも冷たい響きを秘めていた。 ──つまらないことだったら落とす とでも言いたげに。 「アルビオン全部はムリだけど見える範囲くらいなら十分嗅ぎ分けられる。それでも目で探すよりはずっと早いし確実なはずさ」 ギーシュはさらに説明を続ける。 ここで落とされたらメイジといえどもたまったものではない。 フライやレビテーションの魔法を使うにも限界はあるのだ。 「だからアルビオン上空をくまなく飛んで欲しい。必ず見つかる。いや、見つけてみせる」 「それしかないわね」 もう一度アルビオンを見たキュルケは溜息を一つついた。 ヴェルダンデが現れた時にはアルビオンが見つかればすぐにわかるというように聞かされていたのに随分と話が違ってしまった。 だからといってキュルケはここでルイズ探しをやめる気はない。 それどころか絶対に見つける気でいた。 「あなたが起きていればもっと別の方法もあったかも知れないわね」 キュルケは胸に抱いていたフェレットのユーノの背を毛並みに沿って撫でる。 まだ死んではいない。 しかし血を流しすぎた白い獣からは温かさよりも冷たを感じる。 「思ったとおりにはいかないものね」 シルフィードが雲の中に滑り込んだ。 視界が一瞬だけ白く覆われ、すぐに晴れる。 雲を抜けるとその下にはもうアルビオンの大地が広がっていた。 ──思ったとおりにはいかない まさしくその通りだ。 キュルケとギーシュは竜に乗り慣れていない。 タバサもシルフィードの主人ではあるものの未だ竜の乗り手として熟練しているとは言いがたい。 特に移動するアルビオンまでの航路の知識は船乗りには及ばないし、フネとの速度差も実感してはいなかった。 故に彼女らが思ってもいないことが起こっていた。 窓の外を見るルイズの目に映るいくつもの雲は流れては消え、また消えては流れる。 だが、それは瞳に映るのみで心は全く違う二つのものを見ていた。 1つは彼女の婚約者、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。 手を引かれてラ・ロシェールの港に走っていくのはまるでおとぎ話の1シーンのようでもあり、夢のようでもあった。 彼がいればこの任務を必ず果たせると確信できる。 それに彼は魔法も満足に使えない自分のことを覚えていてくれたし、結婚まで申し込んでくれた。 その時のことを思いだし、ルイズは頬を赤らめ、ほうと溜息をついた。 もう一つは彼女の使い魔、ユーノ・スクライア。 剣と魔法を操り、無数の傭兵の前に立つ彼の後ろ姿は自分よりもずっと年下なのにとても頼もしく見えた。 彼は今一番近くにいて欲しい人。 だけどその後ユーノは追いかけては来なかった。 その時のことを思いだしたルイズはレイジング・ハートを固く握りしめた。 (ユーノ、私はここよ。こっちよ) 声は届かなくても念話なら届くかも知れない。 届けば空を飛べるユーノなら必ず追いかけてくるはず。 (早く来て) ワルドの申し出にどう答えるか。 その答えはもう決まっていた。 だけど、どうしても言えずにいた。 ワルドの前に行こうとする足は止まり、答えを伝えようとすれば喉がつまる。 ──ユーノならきっと喜んでくれるわよね そうすればきっと答えられるような気がした。 ルイズは再び外を見る。 青い空が見えた。流れる白い雲が見えた。眼下には大地が見えた。 アルビオンはまだ見えなかった。 ユーノはどこにも見つからなかった。 これはシルフィードがアルビオンの大地に影を落としたのと同じ時刻のこと。 ルイズの乗るフネは未だアルビオンを離れた空にあった。 ヴェルダンデの鼻があるとはいえ、どこにいるかわからないルイズを見つけるにはアルビオン中を飛び回るしかない。 しかしシルフィードの背に乗り、空を飛ぶギーシュ達はルイズを見つける前に逆に見つけられていた。 「うわああ、来た、来た、来た!」 酷くうろたえてギーシュはちらちらと後ろを伺う。 「ちょっとは落ち着きなさい」 「そりゃそうだけど」 アルビオン大陸中央部に入ってからすぐの事だ。 たまたま後ろを見ていたギーシュは雲間に小さな影を見つけた。 何かと考えているうちにどんどん接近してくるそれを見続けていたギーシュは思わずそれはもう情けない顔──モンモランシーには見せなくない──をしてしまった。 それは風竜だったのだ。 ただの風竜ではない。背中に人を乗せている。つまりは竜騎士だ。 アルビオンはほとんどレコン・キスタの勢力下にあるという。 だったら、こんなところを飛んでいるのは間違いなくレコン・キスタ側の竜騎士だ。 杖を振りかざして「降りろ」と合図を送っているのが見えるほどに近づいたが、冗談ではない。 アルビオン王家に接触しようとしているトリステイン貴族が捕まってただですむはずがないではないか。 ルイズと一緒にいるワルドがレコン・キスタに着いていると予想されている今ならなおさらだ。 「もっとスピードは出ないのかい?このままじゃ追いつかれる」 「無理」 完結に答えたタバサの後ろでまたもギーシュは情けない声を上げる。 シルフィードも風竜ではあるがまだ子供。しかも、こちらは3人乗りで向こうは軽装の1人だけ。 どう見ても向こうの方が速い。 「ど、ど、ど、どうするんだよ」 追いつかれるのも時間の問題だ。 これ以上速度が上げられないシルフィードの下を村が通りすぎ、街道が通りすぎる。 草原を通り過ぎた後は森が広がっていた。 タバサは握りしめた杖の頭を上に向ける。 「私に考えがある」 タバサがあの時──学院で大砲を持ったゴーレムと戦った時──と同じように呟いた。 サウスゴータ地方に配属された竜騎士である彼はいつもの通り哨戒を続けていた。 すでに王国軍が一掃されたこの辺りの任務で退屈をしていた彼は、大あくびの途中で思いがけないものを見つけた。 こんなところを風竜が飛んでいたのだ。 しかもその背に乗っているのはレコン・キスタに参加しているとは思えないどこかの学生らしき人だ。 つまりは不審竜と不審者である。 ぴしゃりと頬を叩いて眠気を晴らした彼は手綱を操り、風竜の速度を上げ不審な風竜を追った。 近づいて合図を送るが速度をゆるめる気配はない。 それどころか速度を上げて逃げようとまでしたのだ。 当然彼も任務を果たすべく速度を上げて追う。 逃げられるはずがない。風竜の大きさもさることながら乗っている人数の差から考えても無駄なことだ。 そうしてサウスゴータ近くの森林上空まで来た時だ。 逃げる風竜の周囲にいくつかの光点が突如発生したのだ。 「なんだ?」 彼もメイジだ。 その光点が何かはすぐに知れた。 魔法で作られた火球がカーブを描きながら飛んでくる。 自動的に目標を追いかける火の魔法、フレイムボールだ。 「くっ」 この風竜は残念ながら使い魔ではないが彼も竜騎士になったばかりの新米ではない。 音に聞こえた無双ともうたわれるアルビオンの竜騎士なのだ。 普段の訓練通りにマジックアローを飛ばし、一つずつ火球にぶつけ相殺していく。 「やるな」 その火球の起こす爆発に彼はいささか舌を巻いた。 火球の速度、大きさから考えても腕の悪いメイジではない。 おそらくトライアングル以上のメイジだ。 爆風が晴れると逃げる風竜が急激に上昇を始めていた。 「これを狙っていたか」 上空には折り重なった分厚く、濃い雲があった。 「しっかり捕まって」 タバサはそうぽつりといつものように言うと、キュルケの返事も聞かずにシルフィードの首を真上と見まごうくらい高く上げた。 「ひっ」 後ろからのギーシュの悲鳴を聞きながらキュルケはシルフィードの背びれに両手でしっかりとしがみついた。 途端、目の前に厚すぎて灰色になった雲が迫る。 その分厚さにキュルケは目の中に雲が入ってくるような錯覚を覚えて思わず目をきつく閉じた。 それは手ばかりでなく足でもしがみついているギーシュや不思議な掴まり方をしているジャイアントモールのヴェルダンデも同じだった。 逃げ続ける風竜が雲の中に隠れても彼はまだ余裕があった。 相手の風竜を操る乗り手の腕は悪くない。いや、彼の所属する竜騎士団の中でも中の上には位置するだろう。 まるで風竜に言い聞かせるように自在に操っている様子から考えると、あの風竜は使い魔なのかも知れない。 だが、いかんせんあの風竜には荷物が多すぎたし、乗り手は空戦の経験に不足しているようだ。 分厚い雲に隠れるという発想はいいが、入り方がいかにもまずい。あれでは飛ぶ方向がはっきりわかってしまうではないか。 先ほどの魔法の応酬で距離は開いてしまったが追跡に問題はない。 彼もまた手綱を引いて竜の首を上げ、雲に飛び込んだ。 ──このままやつの頭を押さえる 視界が雲に覆われても焦りはなかった。むしろ余裕すらあった。 このような時には経験がものを言う。 その差を確信したが故に彼は目前にぼんやりとした竜の影を見つけた時、笑みさえその顔に浮かべた。 首の後ろをひんやりとしたものが掴んだ それが何かを確認する暇さえなく、突如無数の針に首を刺されたような痛みを感じた瞬間、彼の心と体は力を失い自らの竜の背に身を横たえた。 前ページ次ページ魔法少女リリカルルイズ